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童話『浦島太郎』の教訓や言いたいことがイマイチ分かりません。 太郎は 亀に恩...

bbd********さん

2018/6/2100:51:49

童話『浦島太郎』の教訓や言いたいことがイマイチ分かりません。

太郎は 亀に恩を仇で返された気がしてしまうのです。
竜宮城で時間を奪われてしまったわけですから。
正直者は馬鹿を見るってこと?

補足これだけ沢山のご回答をいただけるとは思いませんでした。
しかもどれもとても充実した内容。
petさんの返信にも書きましたが この話はその理不尽さを楽しむといったら変ですが ある意味 聞き手に解釈を委ねる 高度な御伽噺なのかもしれませんね。
皆さん どうもありがとうございました。
BAは投票にさせていただきます。

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pet********さん

2018/6/2603:45:40

あのお話は、実質「結婚」していたんですよ。浦島と乙姫。
少なくとも乙姫としてはね。

古い話では、浦島は亀を助けた恩返しに竜宮に招待されたのではなく、浦島の見た目に惚れた乙姫が彼を竜宮(的なところ)に連れてくるというのが物語のはじまりです。
亀が全然登場しないバージョンから、亀の姿に化身していた乙姫が浦島と出会い気に入ったので竜宮へ連れていくバージョンとなり、そのうち、亀と乙姫が別々のキャラとなるバージョンに発展するのです。

なぜ亀を助けた恩返しに竜宮に招待されることになったかというと、日本に仏教が入ってきて、仏教の考えが浸透してくると、浦島が竜宮に招かれることになった理由が「イイ男だから乙姫に惚れられて」というより、「何かとても善いことをした人物だからこそ仙女的な女神的な乙姫に気に入られ認められる」というような、行動的因果応報の考えにそうもの(人間中身でしょ!行いが大事でしょ!みたいな)であることを求められるふうになり、じゃあ亀をたすけてやった優しい青年だってことにでもしようとなったわけです。

そして、竜宮で過ごしたのは浦島の体感として"3年間"です(それが実際は数百年ということですが)。
恩返しの接待宴会で3年間は長すぎるとは思いませんか?
物語の変遷としては後々3年ではなく3か月とか3日とかに縮まっていくのですが、これは乙姫との男女関係的蜜月の感じではなく亀を助けた恩返しの意味での招待だというふうに強調しようとする狙いでそうしている感があると思います。
楽しく過ごしていた浦島が、次第に地上の故郷や親のことをおもいはじめ、ついには断固として帰ると言い張るに至ったときの乙姫の悲しみよう引き留めようからも、乙姫がそもそもは浦島が地上に帰る想定をしていなかったことが伺えます。
乙姫は浦島に地上に帰ってなどほしくなかったし、帰ると言い出してきかなくなるなどとは考えたくもないことだったし、考えてもいなかったのです。

どこかに提出する婚姻届があるというわけではなく、浦島と乙姫が認識として共有できるような形の正式な婚姻の儀というものあたることを明確に行ったのかどうかもわかりません。
そういうことはしなかったのかもしれません。
だからこそ、浦島と乙姫の認識には齟齬があったのかもしれません。

乙姫は浦島と永遠に連れ添う夫婦になったつもりでいて、浦島の方にはそういう認識はなかったのかもしれません。

これは、認識のすりあわせ確認をしっかりはっきりさせなかった乙姫が悪い、いや、浦島が悪い、ということではないと思います。

浦島太郎は人間で、乙姫は人間ではありません。竜宮の者達も誰ひとりとして人間ではありません。

すべての生物、すべての存在が、人間と同じ共通感覚や共通の認識基準をもっているわけではありません。
この世は人間にとっては人間中心かもしれませんが、人間でないものたちにとっては人間中心ではありません。

乙姫としては、浦島が招待に応じて竜宮という異界の門をくぐり、もてなしをうけた時点で、しかもすぐには帰ると言いださなかったこともあり、浦島との合意の上で結婚した夫婦になったというふうに認識したと考えられます。
浦島にはそんなつもりはさらさらなかったかもしれません。なぜそういうことになるのか全くわからない、そんな発想はない、意味わからない、ということだったのかもしれません。
乙姫にとっての常識が浦島にとっての常識ではなかったということなのでしょうたぶん。

浦島が故郷や親を懐かしみ恋しく思い心配で気がかりでたまらなくなり、帰ると言い出したのは、人間にはまあまあ無理もないと想像できるかもしれません。
しかし乙姫には、故郷や親を懐かしみ恋しがり戻りたくなる気持ちは全くわからないものなのかもしれません。
人間以外のあらゆる生き物たちをみてください。
つがいのオスメスで協力しあう、群れの仲間や家族と協力しあう、親が子を大切に育てる、ということは様々な生き物においてままみられることであっても、既に成体となった子が老いた親を恋しがり親が死ぬまで気にかける、時にはそばにいて世話をしようとする、最後には看取りたがるというような生き物が人以外でどれほどいるのでしょうか?
一度独り立ちし離れ去った故郷を、実質的に住みやすい暮らしやすいという条件ではまだしも、懐かしみ郷愁という感情的感覚で戻りたがる生き物は?
たとえばある種の亀やある種の魚などは、成長後に生まれた場所へ帰ることがありますが、それはそこが異性との出会いや産卵をするのに最適の場所だという本能の記憶によることであったりします。
懐かしいから、恋しいから帰るのではありません。
実生活には何不自由なく過ごせる、つがいの巣をもうけた安定の縄張りからあえて去って、生まれ育ったところへ親のもとへ戻っていこうとする成人男性浦島太郎(乙姫と出会った時に彼は24~25歳です)の気持ちは、海洋生物たちの女神的な、海中の女王的な乙姫にはどうにも正しくはよくわからないところもあっておかしくないのでは?

それでむかついたということではなく、よくわからない理由はともあれ浦島がどうにも竜宮を去り異界人としての生活をすてて、人間の世界である地上に戻り人間としての生活に戻りたいというなら、あの玉手箱は一応わたさなければならないものだったのではないでしょうか。
玉手箱の中には浦島の人間としての本来の人生の時間が入っています。人間としての浦島の一部であるものです。

開けてはいけない、開けないで、というのは、乙姫の未練のあらわれのような気もします。
人間界へ帰ってしまう浦島に、それでも完全に人に戻ってしまってはほしくない、そうすればまたもしやの可能性・・・というような。
しかし、浦島には、その意味もわからない。
乙姫が言わないから。
でも、みなまでいわなきゃ浦島にはまったくわからないということが乙姫にはわからない。。。

異質なんですよ。浦島と乙姫(と竜宮のものたち)は、根本的に噛み合わないところがあるんですきっと。
でも、全部が全部まったくかみあわないなら一時的にだって親しくなることもできないけど、その程度には一部通じあえてしまうところもある。
でも、やっぱり合わないところは絶望的なまでに合わない、どうしようもない。
そういう合わないところがあるということを、双方がわかってない。そういう可能性を想像してもいない。というこれまたどうしようもない齟齬。

これがあの話の肝なところだと思います。

異質なもの同士でも近づきかかわり合うことができるくらいのちかしさはある。
ぼくらはおんなじ星(フネ)の旅人さ。

だけどもやっぱり異種ってことはそれなりのこともあるのはまたしかたのないこと。

それを頭のかたすみにもおかないで、自分側の基準で相手のことも自分の頭と同じに決めつけてみているだけじゃ、それじゃあダメなんですよ。

そういうことは、人間と動物でもそうだし、異種間でのことに限らず、人間と人間との関係のなかにも、いくらでもありますよね。というふうにも派生して考えられる気がします。

  • 質問者

    bbd********さん

    2018/6/2619:25:41

    大変な長文に感謝致します!

    気づいた点があるので蛇足ですが 仏教の本来の教えとしての因果応報は 単純に善い行いに対して善い報いがあるというのではなく 仏教を信仰している修行者が教えの上での因を積むことで 教えに沿った結果が顕れるということです。
    信仰の外では いくら善行を積んでも理不尽な結果が起こるというのはよくあることです。

    かの話は その理不尽さを楽しむといったら変ですが ある意味 聞き手に解釈を委ねる 高度な御伽噺なのかもしれませんね。

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har********さん

2018/6/2314:55:59

特に教訓というほどのものではないですが、このお話は異種婚姻譚です。この話はだいたいが破局を迎え不幸になるというものです。

特に神仙と人間能力婚姻は時間の流れの差もありますから破局しない方おかしいわけで、しかも浦島から帰りたい(離婚)と持ち出したわけですから「天罰」が待っています。土産が男が用のない化粧箱というというのもかなり怪しいと思います。

さて教訓ですが異界の人たちと現世の人たちの恋はよい方向には決して向かわない、自分たちの暮らしを誠実にこなすということなのかもしれません。

なお異種結婚譚は羽衣伝説やかぐや姫、山幸彦の物語(天孫降臨と日向三代)などがあります。

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hir********さん

2018/6/2121:05:15

太宰治の「浦島さん」(お伽草子)は参考になりませんか?
(青空文庫で最後のページだけでも覗いてみていただければ・・)

「ムカシ ムカシのオ話ヨ などと、間の抜けたような妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのずから別個の物語が醞醸せられているのである。」(「お伽草子 前書き」より)

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es_********さん

2018/6/2119:34:36

玉手箱は別に老化するガスが詰まってるわけじゃなくて、太郎の玉の緒(生命)を現世に留め置くためのものだというのがわたしのわたしの解釈

亀の迂闊な行動により太郎は時間を奪われてしまったわけだけど、それに対して乙姫様はできる限りのことはやったんじゃないかな

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mar********さん

2018/6/2108:38:47

今も昔も
ハニートラップにはご注意!
って教訓では?

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wat********さん

2018/6/2107:10:59

『浦島太郎』は教訓を含んだ話ではなく、古代から言い伝えられた伝承が元になっています。いわゆる教訓話は仏教説話や社会道徳から生まれたものが多く、因果応報とか勧善懲悪だとかを教えようとします。「鶴の恩返し」「笠地蔵」「花咲かじいさん」などは前者、「桃太郎」は微妙ですが後者に含まれるでしょう。

それらに対して『浦島太郎』や『かぐや姫』は古代の伝承であって、教訓から生まれたものではありません。いわば都市伝説のようなものです。ですから不条理な結末であっても受け入れるしかないのです。

ところで『万葉集』に所載の「詠水江浦嶋子一首」という長歌に添えられた反歌には「己が心からおそやこの君」とあります。「おそや」は「愚かだなあ」というくらいの意味で、玉手箱を「己が心から」開けてしまった浦嶋子を責めています。

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