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靖国神社の展示を見て疑問に思ったので質問させていただきます。

nag********さん

2018/8/1319:17:24

靖国神社の展示を見て疑問に思ったので質問させていただきます。

まず、明治27年頃の少尉軍服にカーキ色のがあったのですがどういうことでしょうか?
カーキ色が初めて登場するのは四五式(将校は)で、日露戦争中の戦時服ですら最初は黒規定だったほどだと思うのですが、一体どういうことでしょうか?

また、日露戦間期の軍服に、カーキ色で首に羽毛?が着いていてポッケがいっぱい着いている外套もどきがあったのですが、騎兵が着ていたようなのでこれは騎兵用の外套ということでいいのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

yum********さん

2018/8/1517:10:07

少尉戦時服は本当に明治27年の物か分かりませんが、日清戦争の頃には茶褐色の外套が戦時用としてありました。
また騎兵の物は外套ではなく戦時服だと思われます。
将校戦時服は個人の好みで規定外の物が多いのです。
茶褐色の軍服は明治37年の夏には将校、下士卒も着用して、明治38年に戦時服として制定、明治39年に制式に軍服として制定されました。

  • 質問者

    nag********さん

    2018/8/1519:20:29

    威海衛攻略戦で戦死された少将閣下の軍服だそうです。
    少尉でなく少将でした。
    帽子は黒でスラックスは緋戦の歩兵科でした。
    服だけが褐色だったので不思議です。

    騎兵は帽子も海軍の白覆いのようなものの褐色の奴が着いていて、首に羽毛とポッケが5つ付いていました。

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質問した人からのコメント

2018/8/18 13:16:26

詳しい説明ありがとうございます!

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1〜1件/1件中

kur********さん

2018/8/1407:21:53

明治27年というのはただしいかわかりません。海軍のものかも知れません。

日清戦争の戦訓で白と黒の軍服からカーキへの変更は検討が始まり、屯田兵などで取り入れられていました。また、海軍は海兵隊を廃止して陸戦隊に切り替わりましたが、士官服はカーキに近い色です。

正規には明治33年、伊知地中将が建議して一部で生産が始まり、外套や野戦毛布はカーキになりました。
明治37年に服装改定。日露戦争の後半は主な将校が肋骨服から詰襟のカーキ服になりましたが、兵隊へ行き渡るのは日露戦争の末期です。

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