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2018/8/15 17:37

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1985年12月のIWGPタッグリーグ選手でブロディ&スヌーカ組が突然出場をボイコットしましたが理由は何なのでしょうか?

1985年12月のIWGPタッグリーグ選手でブロディ&スヌーカ組が突然出場をボイコットしましたが理由は何なのでしょうか?

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新日本プロレスがブルーザー・ブロディのプロレス理論を侵害するような要求をし、自分で納得出来ないことに対して絶対に妥協しないブロディがシリーズ最終戦をボイコットしたのです。 1985年12月12日のシリーズ最終戦当日、ブロディは午前11時上野発-仙台行きの新幹線に乗り、ミスター高橋レフェリーから坂口征二副社長のあるメッセージを伝えられます。ところが、そのメッセージに激怒したブロディは乗っていた新幹線を下車し、上りの新幹線に乗って東京に戻ってしまいました。 パートナーのジミー・スヌーカと東京に戻ったブロディは、宿泊先だった京王プラザホテルをチェックアウトすると、自分たちで荷物を運んで徒歩2分ほどの距離のセンチュリー・ハイアットにチェックインしたのです。 翌13日にブロディは記者団に対して、『ブルーザー・ブロディではなくフランク・グーディッシュとして話す』『私と新日本プロレス、ふたつの異なる見解があるだろう』『後悔はしていないが、新日本プロレスを選んだことはミステークだった』『もう二度と日本に来ることはないだろう』と語り、ファイトマネーも受け取らずに帰国しました。 上記内容は斉藤文彦さんの著書『ブルーザー・ブロディ30年目の帰還』に記されています。 恐らくブロディが評価していないレスラーとタッグ・リーグ戦の決勝戦を戦うように言われたため、プライドが許さなかったのだと推測出来ます。

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質問者

2018/8/17 11:15

なるほど。坂口でなく猪木がドラゴンスープレックスで負けたと言うことはそれがブロディだった可能性が高い訳ですね。詳しい説明ありがとうございました。

その他の回答(2件)

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当時の新日は、あくまでも日本人中心の アングルでしたから、タッグリーグ戦も同様。 そのことに、ブロディが反発していました。 終盤戦になって、露骨に、藤波木村組に 優勝させようとするアングルに、 2人の実力を認めていないブロディの 不満は頂点に達し、ボイコットした訳ですね。