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吉良上野介の首は吉良上野介の家に戻されたんですか? 長年の恨みを晴らした首な...

kan********さん

2018/9/1114:39:05

吉良上野介の首は吉良上野介の家に戻されたんですか?
長年の恨みを晴らした首なんかそこらへんに放置しなかったのはどうしてですか?
呪われるからですか?

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goo********さん

2018/9/1115:08:05

戻されています。

呪いとかじゃなくて、武士道による礼儀でしょう。恨み重なる敵でも死んだら礼節を尽くすのが武士道。(信長はしょっちゅう逸脱してるけど)

質問した人からのコメント

2018/9/18 10:21:36

なるほど!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

まりえさん

2018/9/1119:58:20

大石内蔵助は泉岳寺出発に際して、吉良上野介義央の首を吉良家に返還したい旨を申し出て、酬山和尚に託し、吉良家の方でも菩提寺の万昌院を介して上野介義央の首級返還の訴願を出していました。寺社奉行の阿部飛騨守はこれを許可したので、元禄十五年(1702)十二月十六日酬山和尚は法弟の石獅(せきし)と一呑(いちどん)の二人に首を持たせて吉良家へ送りました。 同月十九日に吉良上野介義央主従の葬儀が牛込築土の久宝山万昌院において密やかに行われました。引導を渡したのは同寺第六世の大忠和尚で、上野介義央は大忠和尚より「霊性寺殿実山相公大居士」(りょうしょうじでんじつざんしょうきんだいこじ)の戒名を諡されました。上野介義央と共に同寺に葬られたのは、小林平八郎・清水一学・新貝弥七郎・斎藤清左衛門・牧野春斎・森半右衛門・権十郎の7名であり、二十四日に大河内六郎右衛門が受けた傷が悪化して死亡し追葬されました。

大石内蔵助とその一同が泉岳寺を立ち去る時、故浅野内匠頭の墓前に供えた上野介義央の首はもはや不要になり、内蔵助の心の中には亡君の仇敵としての怨みはなく、憐愍の情が湧いていました。もともと上野介義央に対して個人的な憎しみと怨みがあったわけではなく、上野介義央は仇討ちの象徴に過ぎず、言わば武士道の犠牲にされたのです。

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