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仏様と言えば、釈尊や阿弥陀仏などがよく出てきます。 ある浄土真宗の信徒の発...

peacemovement2030さん

2018/10/709:09:15

仏様と言えば、釈尊や阿弥陀仏などがよく出てきます。

ある浄土真宗の信徒の発言です。


法華経如来寿量品
ここは、釈尊自ら自身の久遠の成仏を告白され、他のお経にない、『法華経』だけの2つの大きな特色の1つになっています。
「私が仏になって以来、五百塵点久遠劫という非常に長い年月が経っている。いつも何億という衆生の為に法を説き教化して限りない時が経った。衆生を救う為に方便として私が入滅した様子を見せるが、
実は、決して入滅することなく、いつもこの法を説いている」
といわれています。
ここで、十劫の昔に成仏した阿弥陀如来よりも、釈迦如来のほうが古い仏だという人があります。

ところが化城喩品には、三千塵点劫の昔、大通智勝仏が出家前に16人の王子があり、9番目が阿弥陀仏、16番目が釈迦仏と説かれています。
阿弥陀如来のほうが古いのです。

『無量寿荘厳経』には、「かの弥陀如来は来って来るところなく去って去るところなし、生なく滅なく過現未来にあらざるなり」と説かれ、阿弥陀如来は無始久遠の仏であるということです。
釈迦如来は、久遠の過去といっても、五百塵点久遠劫という限られた数量がありますが阿弥陀如来は無始久遠と説かれています。

『法華経』にも説かれる通り、やはり諸仏の王といわれる阿弥陀如来のほうが釈迦如来が現れる前からの仏です。
ーーーーーーーー(以上、発言を引用)ーーーーーーーー

果たして、そうでしょうか?
浄土真宗では、こういう教学を教えているのですか?

そもそも、阿弥陀仏には、観経で説かれる阿弥陀と、法華経迹門で説かれる阿弥陀、法華経本門における阿弥陀があります。

法華経化城喩品(法華経迹門)であは、三千塵点劫の昔に出現した大通智勝仏の十六人の王子が法華経を聞いて成道し、後に十方の国土で法華経を説いたが、その九番目の王子が阿弥陀仏となった、と説かれています。法華経迹門では、阿弥陀仏も法華経を修行し、また説いて仏になったことが明かされています。

また、如来寿量品(法華経本門)には、「我説燃燈仏等、又復言其入於涅槃〔我れは燃燈仏等を説き、 又復た其れ涅槃に入ると言いき〕」と説かれ、また「随所応度、処処自説名字不同、年紀大小〔応に度すべき所に随って、処処に自ら名字の不同、年紀の大小を説き〕とも説かれています。「燃燈仏等と説き」とか「名字の不同」とは、阿弥陀仏とか燃燈仏とか阿閦仏とか、さまざまな仏の名を説くが、その根本は寿量品の釈尊であるという意で、法華経本門の意では阿弥陀仏は釈迦の分身となります。

これに対して、無量寿経に説かれる阿弥陀仏は、過去無量劫に法蔵比丘として修行していた時、自ら仏国土を荘厳しようと願い、世自在王仏を師として四十八願を立て、その願が成就して阿弥陀仏となり、成道してから十劫を経ており、西方極楽世界で今も説法していると説かれている。所詮、方便・権教の架空の仏であり、五逆罪と法華誹謗の者は除かれるとされています。

質問です。
浄土真宗の教学では、観経の阿弥陀仏と法華経の阿弥陀仏が同じだとお考えのようですが、これで正しいでしょうか?

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2018/10/912:38:54

無量寿経にしても法華経にしても、釈迦の直筆ってわけじゃないから細かい矛盾にこだわっても意味なんかないよ。

  • 2018/10/917:49:38

    法華経原理主義者は釈迦の本意なんてこれっぽっちも感じとっていないのだろう、

    釈迦は自筆の経文はおろか口伝書を残すことも拒否したのに、釈迦の名を使って経文の仔細にこだわり、他を軽んじるなど、何処に釈迦の思想があるのか?

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sai********さん

編集あり2018/10/914:27:05

あなたに是非とも御教示を御願いいたしたく思うのは【法華経に現れる弥陀と浄土経三部に現れる弥陀が違う】私は聞いたことはありません。教えて下さい。

あなたの学説なのでしょうか。

あなたの学説なら是非ともその内容をご説明願いたい。

今、ここに日蓮聖人様がかって【念仏していた旨】の日蓮聖人様の書簡の文章を私は所持しています。

★弥陀には十劫正覚の弥陀と久遠実成の弥陀があることは真宗、浄土宗、天台の学僧なら誰でも承知しています。 あなたが知らないだけです。

弁栄聖者様はその本門とはズバリ大経の如来光明歎徳章であり、弥陀の四十八願が迹門であるとしています。

かっての光明礼拝儀に一切経を読んでおられた弁栄聖者様は如来寿量品も入れ、信者に布教していたのです。

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u2n********さん

2018/10/721:29:28

何が何でも突きつめていくと・・・説いた方が違うのでは?という結論を完全否定できなくもなりますね。

本題ですが・・・法としてみれば同一ではあるが、その示現は様々でその点で見れば不同一であり異なるという事でしょう。

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de_********さん

2018/10/710:15:37

親鸞は法華経にほぼまったく言及していませんから、法華経の阿弥陀と浄土三部教の阿弥陀の関係は、それ自体としては真宗の教学が論ずるところではありません。

しかし『浄土和讃』に

久遠実成阿弥陀仏、五濁の凡愚をあはれみて、
釈迦牟尼仏としめしてぞ迦耶城には応現する

とありますから、親鸞にとって迦耶始成の釈迦は「久遠実成」の阿弥陀佛の応現だったわけです。法身としてはもちろん釈迦・阿弥陀は同体で、自受用・他受用報身としても同体だと見ていたのでしょう。阿弥陀の成道が「十劫」と説かれるのも、法華経の久成釈尊が「五百塵点劫」なのと一緒で、阿弥陀佛の三世常住の義を妨げるものではありません。

こういう理解を天台法華系の枠組で見るならば、この久遠実成の阿弥陀佛の本因行は、無量寿経に説くところの法蔵比丘の誓願・本願だったわけで、阿弥陀佛が衆生が悉く成仏すると保証しているそのことは、既に衆生には阿弥陀佛(本因行のときは法蔵菩薩)による「下種」が行われているのだ、ということになりましょう。

> 所詮、方便・権教の架空の仏であり

これは法華経が言っているのではなく、日蓮が言っているだけですね
あと、この理屈だと同じように
久遠実成の釈尊(あるいはあなたの宗派によっては久遠元初仏)も
当然ながら架空の仏ですよ(笑)
虚空会が架空の話じゃないと思ってるキチガイは
流石に今の日本にはほとんどいないでしょう

> 五逆罪と法華誹謗の者は除かれるとされています。

「五逆・正法誹謗を除く」という表現は、抑止門といって「悪行を行わないよう抑止するためにそのように方便として言うので、実際には誰も往生(からの成仏)から排除されることはない」というのが、浄土教学の基本です。

なお、浄土教は聖道門を「誹謗」しているわけではありません。
速やかに生死を離れたければ浄土門を選ぶべきである、というのであって
あくまでも時間をかけて娑婆世界での修行を続けるのならばそれはそれで尊いのです
敢えて困難な娑婆成道を選ぶところに釈尊の阿弥陀佛とは異なった意義を
見出す『悲華経』を親鸞は引いています

まあ、天台法華・日蓮法華で成道したという話はおよそ聞きませんので、
そのことを誹謗と言われても浄土系の人々も困りますでしょう
もちろん浄土教での往生(と浄土での成仏)も目には見えませんが
法然やその高弟たちは口称念仏で見仏三昧の体験を得ていたことが
わかっているので(たとえば三昧発得記)、彼らは日蓮(観心本尊抄)の

仏界計り現じ難し、九界を具するを以て強いて之を信じ、疑惑せしむること勿れ

の「強いて之を信じ」と違って、浄土往生を体験的に確信していたでしょう

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