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インパール作戦の悲劇は海軍の責任ですか?ミッドウェーの大敗を陸軍に報告せず寧ろ...

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ID非公開さん

2018/10/2110:25:41

インパール作戦の悲劇は海軍の責任ですか?ミッドウェーの大敗を陸軍に報告せず寧ろ勝ったと陸軍は思ってたとか(総理や国民も)なので補給を期待してインパール作戦に望んだと聞きましたが本当ですか?

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kou********さん

2018/10/2309:42:49

ミッドウェー海戦:1942年6月

インパール作戦開始:1944年3月

ミッドウェー海戦から1年9ヶ月、、、もちろん東條を含めて陸軍は知っていました。

予定としてはミッドウェー島を占領して陸軍部隊を常駐させることになっていました。それがあの陸軍第七師団一木支隊です。日本機動部隊が全滅してしまったので一木支隊は上陸しなかった。その後、米軍がガダルカナルに上陸。一木支隊は駆逐艦で急遽ガダルカナルへ輸送され、そこで全滅してしまいました。

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red********さん

2018/10/2113:33:49

この話ですが、井上農相が収容所で東條と一緒になったとき、東條が
「井野君、自分はミッドウェーの敗北を知らなかったんだよ」
と言い、さらに確認すると
「私がもしミッドウェーの敗北を知っておったらインパール作戦はやらなかった」
と答えたというものです。

しかしこれはデタラメでしょう。なにしろインパール作戦を認可したのは東條ではありませんから。やるもやらないも、インパール作戦を認可したのは杉山元陸軍参謀総長です。

当時の東條は陸軍大臣、軍令に口出しできるわけがありませんし、その後に東條が参謀総長を兼任したときには、すでにインパール作戦は発令されています。
インパール作戦の発令が1944年1月で、東條が参謀総長を兼任したのが2月21日ですから。作戦自体が敢行されたのが3月8日なので、こういう怪しい話が出てくるんでしょうが。

さらに言えば、東條がミッドウェイの敗北を知らないなどという事はあり得ません。ミッドウェイ作戦は陸海軍共同作戦であり、陸軍も当事者ですし、「陸軍による海戦情報入手とその後の意志決定」によれば、軍令部から参謀本部に空母四隻撃沈の報告がなされ、その情報を参謀本部では参謀総長、各部課長、次長、陸軍省では陸軍大臣、軍務局長、次官以外には極秘とすることが決定されたとあり、陸軍大臣(東條)には情報が伝達されたことが史料つきで書かれています。

ミッドウェイ作戦には上陸部隊として一木支隊が参加しています。海軍が勝ったといいつつ撤退したら、陸軍は混乱するに決まっています。

そもそも、他の方も書いているように、インパールに海上補給は関係ありません。ビルマ自体が東南アジア最大の食料生産地ですから、食料を海上輸送する必要がないんです。

また、インパール作戦は物資集積に失敗したわけではなく、集積した物資を前線に届けられなかったことが問題であり、そのルートは山岳ですから海軍にはどうしょうもありません。

mc3********さん

2018/10/2111:52:02

ほとんど関係ないでしょう。

ミッドウェーは1942年の6月で、インパール作戦は1944年の3月です。これだけの期間が空いていれば、陸軍側でも太平洋方面の戦況が芳しくないことくらいは把握できます。
さらに、インパール作戦では、師団長から南方軍の参謀に至るまでが補給は維持できないと反対しています。それをごり押しして決行されました。
第一、インパールは内陸部の山岳地帯です。海沿いの拠点ならば、海軍の協力を期待してというのも分かりますが、内陸部では海軍の協力を得ても、制空権を確保するくらいしかできません。

あの作戦の失敗責任は100パーセント陸軍側です。

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