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9世紀から14世紀ころまでのイギリスについての質問です。高校生2年生の世界史です。

mag********さん

2018/10/2519:40:41

9世紀から14世紀ころまでのイギリスについての質問です。高校生2年生の世界史です。

アングロサクソン七王国成立〜百年戦争終戦までのまとめをしていたのですが、当時の王たちの王権の強さがどのように推移していったのかがよくわかりません。とくに、

・エグバート
・アルフレッド
・クヌート
・ウィリアム1世
・ジョン
・ヘンリ3世
・エドワード1世
・エドワード3世

この8人の治世時、王はそれぞれどの程度の権力を持っていたか教えてください。具体的にどんな出来事によってそのような権力の推移になったかも教えて頂けると嬉しいです。

わかりにくい文章ですみません。よろしくお願いします。

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ste********さん

2018/10/2802:22:51

>王はそれぞれどの程度の権力を持っていたか

国王の権力といっても目に見えるものでないため、
アバウトな形でしか説明できません。

エグバート(エグベルト)

この人は、ウェセックス王です。
ウェセックス王にして、他の6王国を束ねた覇者でした。
まだ、イングランド全土の国王というわけでなく、
あくまでウェセックスの王として、他の王国を従わせているだけでした。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%82%B0%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83...

アルフレッド大王

彼も、ウェセックス王ですが、この時代になると実質的に
全イングランドの王という状態でした。
ただし、ブリテン島自体がデーン人の侵略を受け、
ウェセックス王国そのものが滅亡の危機にありました。
そのデーン人を撃退した英雄がアルフレッドでした。
しかし、彼以外の王はデーン人に貢納金を支払って、
侵略を食い止めるしかないくらい、劣勢に置かれていました。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83...

ちなみに、大王の孫の代から、正式にイングランド王という称号を
使い始めました。

クヌート(カヌート・クヌーズ)

アングロ・サクソン人とデーン人との戦いの結果、
デーン人がイングランド王に即位することになりました。
その一人がクヌートです。
彼は、イングランド王になったのを皮切りに、本国のデンマーク王
にも即位し、さらにノルウェー王も獲得しました。
そのため、広大な領域を支配した彼の国を北海帝国などと
呼ぶことがあります。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%AB%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%83%88-45899...

クヌートはイングランドにデーン人の王朝(デーン朝)を開きましたが、
長続きせず、アングロサクソンの王朝が復活しました。

11世紀のブリテン島はある種の戦国時代でした。
アングロサクソン人たちの間でも権力争いがあり、
外部勢力の侵略もありました。
デーン人をなんとかしりぞけた後に、やってきたのが
ノルマンディー公国でした。

ウィリアム1世

もともとノルマンディー公ギョームでした。
ギョームとはフランス語で、英語になるとウィリアムになります。
ノルマンディー公国は、もともとノルマン人が建設したわけですが、
この時期にはすっかりフランス語を使用するフランス人化していました。
ウィリアム1世は、イングランド王国内の混乱を利用して、
これを征服しました。
ウィリアム1世は強力な征服者として、イングランドに君臨しました。
同時代の他の国や地域より、強大な君主権力を振るっていたと説明される
ことが多いです。

例えば、同時代のフランス王は、直轄領がパリの周辺くらいしか
無かったのに対して、ウィリアム1世はイングランド領内の土地を
すべて没収して、巨大な封建領主になっています。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83...

ウィリアム1世が作成させたドゥームズデー・ブックは、
彼の権力の強大さを物語っています。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82...

ジョン王

兄のリチャード1世(獅子心王)の後を継いでイングランド王になりました。
しかし、この時代のプランタジネット家の王たちの本拠地は、
イングランドではなく、フンラス内にありました。
彼らは英語など話さず、フランス語のみを使用するフランス人支配者でした。
イングランドの領地は、数ある所領の一つに過ぎないという程度でした。

ジョン王の治世は、教皇のインノケンティウス3世を敵に回し、
さらにフランスにおいて、フランス王フィリップ2世と激しく
争うなど、戦いの連続でした。
戦争のため、軍資金が必要になると、それを貴族たちに負担させようと
したため、貴族たちは反乱をおこし、マグナ・カルタを押し付けられました。
これによって、強大だったイングランド王の王権に歯止めをかける
端緒となっていきました。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3-80687#E3.83.96...

ヘンリ3世

ジョン王の長男です。
ジョン王がフランスでの所領をほとんど失ってしまったため、
イングランドのみが領地となってしまいました。
ところが、マグナ・カルタを無視して、お気に入りの寵臣を起用した
政治を行い、さらに戦争を行おうとしたため、
イングランド国内の貴族の反発を受け、内乱となり、
ヘンリ3世は貴族に敗北してしまいました。
この貴族側のリーダーが、シモン・ド・モンフォールになります。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC3%E4%B...

ジョン王と、ヘンリ3世の親子は、似たような失政を行い、
貴族たちの反発を買い、敗北して王権を制限されるきっかけを
作ってしまったのでした。

エドワード1世

ヘンリ3世の長子でしたが、久しぶりに有能な国王でした。
反乱側の貴族を鎮圧し、国王の独裁権力を確立させました。
ウェールズやスコットランドを征服し、ブリテン島内での
イングランドの力を増大させました。
一方で、模範議会を開くなど、貴族や平民との協調にも努めました。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83...

つまり、マグナ・カルタやシモンの議会が開かれたからといって、
急にイングランドが議会政治に移っていったわけではありません。
あくまで、後の議会政治の土台になったに過ぎませんでした。
有能な国王が現れれば、貴族たちの力は押さえつけられ、
王権は伸長したのでした。

エドワード3世

エドワードは1世が有能、2世が無能ときて、
1世の孫の3世は、再びエネルギッシュで有能な王でした。
百年戦争を開始した王として有名ですが、それだけ強大な王権を
ふるっていたということになります。
フランスへの侵攻は、かつてのプランタジネット朝初期の所領を
取り戻そうという目的がありました。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83...

質問した人からのコメント

2018/10/28 13:33:41

回答ありがとうございます。細かく書いて頂けて本当に助かりました。おかげでとてもよくわかりました!

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