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撰銭令を簡単に教えてください

sfg********さん

2018/10/3100:50:35

撰銭令を簡単に教えてください

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fem********さん

2018/10/3100:55:38

室町・戦国時代に,悪銭のうちとくに粗悪な銭の流通を禁止するとともに,その他について撰銭を禁止するなど,銭貨流通に関して室町幕府,大名,社寺などが発した法令。〈せんせんれい〉〈せいせん(精銭)れい〉ともいう。室町・戦国時代に経済が発展し,貨幣流通が盛んになると,輸入中国銭の不足をきたし,私鋳銭の大量鋳造がおこなわれ高利貸営業,商取引,年貢公事・反銭の銭納などにおいて,撰銭行為によるトラブルが発生した。
https://kotobank.jp/word/%E6%92%B0%E9%8A%AD%E4%BB%A4-1149878
こちらもご参考に。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%92%B0%E9%8A%AD%E4%BB%A4

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pla********さん

2018/10/3122:00:57

日本国内で公的な銭の鋳造が途絶えていた当時、通用していた銭は、古くは皇朝銭から北宋・元・明を中心にした中国銭、朝鮮からの渡来銭、倭寇が持ち帰った中国大陸の私鋳銭、それに中国銭を真似て製作したさまざまな種類の日本鐚(にほんびた)が入り混じり、製作と質のよい良銭もあれば、文字通りの製作が粗末で質がよくない鐚銭も数多くありました。 そうしたところから銭の受け渡しにあたって、良銭を選び、粗悪な鐚銭を忌避する撰銭の風潮が生まれ、紛争が絶えませんでした。室町幕府はたびたび撰銭禁止令を出しまたが、このころになると幕府の威勢も低下していたので一向に改まらなかったと言います。

ちなみに中国銭の中でも永楽銭は良銭であるところから銭の代表とされ、「永銭」と言う表現が生まれたように基準的な銭となりました。永楽銭を意味する「永」と言う表現は、江戸時代を通じて使われ、永1文と言えば4文のことを意味していました。なぜ永1文が4文のことを意味しているのかと言うと、徳川家康が慶長九年(1604)に永楽銭と、永楽銭以外の銭または鐚銭の通用割合を1対4として永楽銭以外の銭と鐚銭の通用を公認し、慶長十三年に初めて「金子一両に鐚銭四貫文取引べく事」と金貨と銭貨との交換率を公定しました。こうして金1両=銀50匁=永楽銭1000文=鐚銭4000文と言う公定交換レートが確定しました。この交換レートは元禄十年(1700)十一月に金1両=銀60匁=寛永銭4000文に改訂され、この後、この3貨の公定交換レートは江戸時代を通じて変わることはありませんでした。

usa********さん

2018/10/3102:11:05

撰銭令とは「撰銭」行為を禁止する法令です。
なので、意味から言うと撰銭禁止令がニュアンスを正しく伝えられますね。

まず、撰銭令が出された室町時代の背景をご説明します。
室町時代には日明貿易により、中国で使われていた銭が大量に輸入されるようになり、それなりに貨幣経済が日本にも浸透していました。

当時の支配階層である武士達も税を米ではなく銭で受けとるスタイルが一般化していました。

このため、銭で富を抱えている支配階層は貨幣経済が衰退したり、銭の信用が無くなることは死活問題なので、これに対して神経を使って対策をしていました。

さて、当時の銭は品質が一定しておらず、品質の悪い銭や、あるいは勝手に銭を融解して打ち直したりするいわゆる「鐚銭(びたせん)」という粗悪品が多く存在していました。

人々はいつ価値が無くなるかわからない粗悪品の銭を嫌い、代金の受け取り時に鐚銭を拒否して品質の高い良銭だけを受け取るような銭の選別行為をしていました。

この銭の選別行為を「撰銭」と言います。

これを放置するとどんどん質の高い良銭は秘匿されて出回らなくなり、使い道の限られる鐚銭ばかりが市場に残されます。

信用の無くなった銭ばかりになるので、そもそも、銭による決済が嫌われて貨幣経済が衰退し、やがては銭その物の価値がなくなり、支配階層が蓄えている富もゴミに変わってしまいます。

なので、これを防ぐため貨幣経済を維持しなければいけないので、鐚銭であろうが市場で使わせ続けなければいけません。

というわけで、撰銭行為その物のを禁止し、鐚銭にも一定の価値を認めて市場で流通するようにしたのが撰銭令です。

lit********さん

2018/10/3101:31:57

撰銭令
って、最近まで誤った認識がされてきていて
他の回答者さんもその誤った認識の回答をされていらっしゃるようです。

室町時代頃
宋から輸入された
宋銭
が貨幣の主流として流通していましたが
その中で粗悪な銭がかなり多く混じっていました。

これを悪銭とかビタ銭などと呼んでいました。

全然値引き、安くできないことを
びた一文まけられない
などという“びた”の語源がこのビタ銭。

貨幣を受け取る側からすればこのビタ銭を受け取りたくはなくて
受け取りを拒否したがります。

これを
撰銭
と言います。

ところが
実際にはこのビタ銭は大量に混じって流通していて
銭を払う側からすれば大量に混じったビタ銭での支払いを拒否されると取り引きに支障をきたしとても困ったことになり
また取引が円滑に進まないことで為政者の側としても放置できない問題となっていました。

けれど
このビタ銭が取り引きにおいて大量に混じった根本的な問題は
宋銭の絶対的な量が不足していた
ということにあって
為政者=幕府としてそれを根本的に解決する
つまり宋銭の流通量を増やすことがなかなかできなかったんです。

それで対症療法的に
宋銭=良銭とビタ銭=悪銭との交換レートを取り決めすることでビタ銭を流通の中で円滑に取り込み
撰銭、つまりビタ銭での受け取りを拒否することを禁じた
これが撰銭令。

ビタ銭=悪銭を排除しようとするものでなく
排除することが実質的に無理なビタ銭=悪銭というものの存在を現実的に追随、公に認め
そのための取り決め事をしようとしたものだったんです。

wat********さん

2018/10/3100:51:45

悪銭が良銭を駆逐するのを防ぐ役割

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