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街亭の戦いの失敗は馬謖一人の責任でしょうか?

kjv********さん

2018/10/3110:09:22

街亭の戦いの失敗は馬謖一人の責任でしょうか?

諸葛亮の作戦ミスとかは考えられませんか?

補足もし、馬謖のミスで無いなら、何故馬謖だけ死刑になったのでしょうか。

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tun********さん

2018/10/3112:30:29

ミス云々より,荊州喪失以後は,蜀が魏に勝てる確率は,限りなく低くなっていました。ただしそれではストーリーにならないので,物語の『三国志演義』では,色々と脚色して「もし馬謖のミスがなければ」という話になっています。
蜀の第一次北伐は,5回の北伐の中でかなり成功した方であり,諸葛亮の能力の高さを示しています。しかし曹叡の軍事能力が諸葛亮を上回っていたことが,第一次北伐での蜀敗北の一つの理由と思われます。
まず諸葛亮に通じた孟達を電撃的に討ったこと,自ら長安にゆき弱将の守将(夏侯楙)を更迭して曹真に守りを固めさせたこと,張郃などの有能な宿将に蜀軍を討たせたことなどが挙げられます。
おそらく魏延の策を採用しても,曹叡が長安防衛の重要性を認識していた以上,蜀は敗北したでしょう。
馬謖が山頂ではなく平地に布陣しても,戦力や武将の能力に勝る魏軍には勝てなかったでしょう。軍事的に有利な山頂に布陣することは,勝てるチャンスのある立派な作戦でした。しかしその弱点を張郃に見事につかれて敗北しますが,それは曹叡の的確な人選の結果です。
おそらく諸葛亮も趙雲も馬謖も,劣勢の兵力で最善を尽くしていました。
しかし戦後処理をしなければいけないので,諸葛亮と趙雲は降格,馬謖とその配下の武将が死罪になったのです。
そういうことだと思います。

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2018/11/6 19:18:07

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FTさん

2018/11/101:55:57

一次北伐で処分されたのは馬謖だけではありません。


馬謖のほかに馬謖の部下の張休と李盛が処刑、黄襲は配下の兵を剥奪、馬謖の逃亡を黙認した向朗が免官、趙雲と諸葛亮自身が降格で、馬謖の部下の王平だけは昇格しています。


一次北伐で敗れたのは馬謖だけでなく、列柳城では高翔が郭淮に、箕谷では趙雲と鄧芝が曹真の派遣した軍にそれぞれ敗北していますが、この3名は趙雲が降格されただけで処刑された者はいません。


諸葛亮は戦後の劉禅への上奏で、「街亭では命令に背かれるという過ちを犯し、箕谷では不謹慎ための失策を犯し~」と述べてるので、街亭の馬謖が命令に背き、箕谷の趙雲が何かのミスを犯したことは事実のようです。


ミスよりも命令違反+逃亡のコンボの方が罪が重いということだと思います。


「馬謖を何度も諫め、踏みとどまって抵抗した」と書かれている王平が昇格していることから、馬謖に連座して処分された張休と李盛、黄襲は、おそらく馬謖の命令違反を知っていて咎めなかったか、馬謖とともに逃亡したのではないでしょうか。


趙雲の犯したミスはおそらく曹真に敗北したことではありません。諸葛亮伝には長安方面へ向かった趙雲軍がおとりだったことが明記されており、諸葛亮の主力軍は長安とは逆方向の祁山へ向かっています。一次北伐の目標は長安ではなく涼州です。


両軍の兵力についてですが、街亭の戦いの1年半ほど前には呉の孫権と諸葛瑾が大軍で荊州北部へ侵攻しており、この時期の魏軍の主力は呉との国境に展開していたようで、蜀との国境、特に諸葛亮が攻めてきた西の雍州、涼州方面は手薄になってたようで、蜀軍の方が大軍だった可能性もあります。

「漢晋春秋」という書物によれば、諸葛亮自身が「大軍が祁山、箕谷にいたときにはいずれも賊軍より多数だったが賊軍に打ち破られた」と述べています。


魏延の策ですが、彼の言う「韓信の故事=別動隊による関中奇襲」を知っているのは別に魏延と諸葛亮だけというわけではなく、むしろ当時のそれなりの地位についてる人ならみんな知ってる話で、一度実行されて成功している奇襲を再度成功させるのは敵がよほどボンクラでなければ困難なように思います。

sna********さん

2018/10/3119:53:45

趙雲の役割は陽動であり、馬謖の役割は足止めでしょう、魏から諸葛亮が陣を敷いた祁山方面に援軍を送るには街亭を抜くか、街亭から南下しなくてはなりませんが、その場合後方の街亭からの追撃に備え兵を残さなければなりませんし、更に街亭の南には高翔が陣を引いており、張郃への足止めは二段構えだったと思います、ところが馬謖は山頂に陣を敷き大敗します、何故山頂に陣を敷いたのか?
おそらく張郃を引き込んで殲滅しようとしたのではないかと思います、足止めが任務なのに軍令違反を犯した為に処刑されたのだと思います

sho********さん

2018/10/3113:06:09

第一次北伐に関しては、諸葛亮の馬謖への軍事戦略面に対する信任ぶりをみるに、この計画全般に馬謖が相当関与している可能性が高い、って言うか馬謖立案かもしれん。で、作戦ミスが失敗の大きな要因だとすれば、その作戦立案者の馬謖の責任も大きいよね。

街亭に関して言うと、指揮がメチャクチャで負けた、ってだけなら死罪は無かったと思いますよ。
ただ、馬謖は何がしらの理由で「逃亡」を測ってます。
史書に詳細が無いので、敗戦後、敗戦の責任を問われて拘留されたトコから逃亡したのか、街亭で敗れた際、敗れた部隊の指揮を放置して逃亡したのかはわかりませんけど。

個人的には街亭で、かなり位階の低い王平が殿を務めて敗軍を取りまとめて帰還した様なので、李勢(だったかな?)など馬謖と一緒に死罪になった連中と共に馬謖も逃げたんかな、と。これだと職務放棄で死罪もあるかな、と。
拘留先からの逃亡もアウトですけどね。

nad********さん

2018/10/3111:00:12

趙雲のミスです。
曹真の軍勢を破れなかった彼の責任。
張郃の釣り出しに失敗し、城を落とせなかったのだろうけど、そもそもあんな作戦で長安を奪おうというのが無謀。
魏延策の方がまだだいぶマシ。
奇策を用いらなければ守る兵数よりも少ない攻める兵数が勝った戦などほとんど無い。

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