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スター誕生で何かとケチを付けて中森明菜のデビューを阻止した松田トシですが、逆...

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ID非公開さん

2018/11/323:26:50

スター誕生で何かとケチを付けて中森明菜のデビューを阻止した松田トシですが、逆に80年や81年にデビューしていたらどうなっていたのかと思うことがあります。

所属することになる研音はその回まで出禁だったから違う事務所に所属することになっていただろうし、テレビ予選3度目に旬が来ていたという見方もされていて最も脂がのってる状態でデビューできたともふり返れる。
結果論として全ては中村泰士おかげですが、奇しくも立役者のような功績のように取れなくもありません。

これは「たら・れば」の話なので想像になりますが、もし1979年の中学2年時に岩崎宏美の「夏に抱かれて」や1980年の中学3年時に松田聖子の「裸足の季節」を歌ったスタ誕で松田トシが高評価してデビューしていたら、デビューからどんな3年間が想像出来ますか?
80か81年のデビューで所属する事務所や楽曲も異なるパラレルワールドで、もうひとりの中森明菜があるとしたらどうなっていたと想像しますか?

肯定的・否定的な回答関係なく、創造力のある面白い回答をBAとさせていただきます。

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ベストアンサーに選ばれた回答

mok********さん

2018/11/410:45:33

研音もワーナーもその頃はスカウトの所に居なかったようです。
他の所でも明菜さんなら人気者になったでしょう。
中学生では突っ張りソングは早すぎなのでやはり17歳にならないと歌わせないです。
それでも歌唱力とかわいさでウレタノ

  • mok********さん

    2018/11/410:55:48

    すみません。
    途中で送信に触れてしまって。
    80年にデビューしたら新人はやはり豊作でしたので新人賞は混乱したでしょう。
    田原俊彦さん松田聖子さん河合奈保子さん柏原よしえさん松村和子さんがいて。
    そこに明菜さんが入ったらスゴいです。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

dra********さん

2018/11/410:59:36

明菜さんに関する以下に添付の過去質問↓を、コピペして投稿しては削除して再投稿されているようなので、前回の過去質問の BAの回答を転記しておきます。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q141937962...

中森明菜さんが何年にデビューしていたとしても、明菜さんの本来持っている、あの特異な感性や表現力、見事なまでに別々の主人公になり切れる多面性等々といった才能は変わらなかったと思います。

ただ、その蕾が花開き、全開するタイミングといったものは、やはり、あったと思います。

当時審査員で、1981年のスタ誕て明菜さんに100点満点(電光掲示板が99点までしか無かったので表示は99点)を付けた中村泰治さんが、こんな事を言っています。

「すごいぞ、これは。この子、急に成長したじゃないか。」

歌い出しからすぐに、中村は舌を巻いたという。

「期待を大きく上回っていたんです。それまでとは違い、明らかに声に艶が出ていた。正直、ゾクゾクしましたよ。この子はアイドルというよりも、ちゃんとした歌手に育てるべきだ、なんてことを瞬時に考えてしまった。」

私は、スタ誕は当時よく観ていて、石野真子さん、柏原芳恵さん、小泉今日子さんら、その他の方々が合格した回も覚えています。

でも、明菜さんは3回も出ているのに、合格した回しか記憶に残っていません。

その時の印象は、石野真子さん(明菜さんが記録を破って合格するまでは史上最高得点の持ち主)や小泉今日子さん(会場からの印象点が最高)に感じた、明るく華があって可愛く、絶対売れるっていう感じとは全く違いました。

明菜さんは童顔の美少女だったけど、キャピキャピした感じはなく、どちらかと言えば大人しめの印象で、でも、受け答えはしっかりとして自分の意見ははっきりと言うといった感じの女の子でした。

なのに、当時、他の人に感じなかったほど惹かれて、この子、絶対売れると思ったのは何故かと、ずっと不思議に思っていました。

知恵袋で、同じように、当時スタ誕を観ていて、この子、絶対売れると思ったという意見を見た時に、私だけじゃなかったんだと、少し嬉しくなりました。

そして、上に書いた中村泰治さんのコメントを読んだ時に、全て納得しました。

私は、明菜さんがもっと前にデビューしていたら、明菜さんの本来の才能に気付かれないまま、間違った方向性で売り出されてしまった可能性が高いと思います。

1981年のスタ誕決戦大会でプラカードを挙げて明菜さんを獲得したワーナーパイオニアの明菜さんへの新人アイドルらしからぬ育て方を回顧してみても、今まさに開花しようとしている蕾の開花後の美しさを見抜いたワーナーが、その蕾(明菜さん)に賭けたのだと思います。まだ蕾になる前の時期尚早だったら、そうは行かなかったと思います。

そして、明菜さんの本来の才能に周囲が気付いた頃には既にデビューして2、3年が経っており、事務所やレコード会社からも力を入れてもらえなくなっていた可能性があると思います。

当時(80年代のアイドル戦国時代)はとにかく、どの事務所も、どのレコード会社も、新人アイドルの売り出しに力を入れ、デビュー1、2年で売れなければ置いてけぼりの時代(女優やバラエティータレントに転身した人も多い)でしたから、1、2年目の方向性は、その後の歌手としての成長に大きく左右したと思います。

埋もれなくて良かったと、今更ながら、思います。中村泰治さんには、本当に明菜さんの才能に気付いてくれてありがとうと、そして、今となっては、松田トシさんにも、厳しい目で見てくれてありがとう、明菜さんを中学生の頃に合格させないでくれてありがとうという感謝の気持ちで一杯です。

色々な事があって、休業もありましたが、TVに出なくとも、今尚、アーティストとしては進化し続け、素晴らしいパフォーマンスを見せ続けて(知らない人は色々言うけど)、カリスマ性を保っていられるのは、あのタイミングでデビューして才能を開花させ、アーティストとして成長し続ける事が出来たからだと思います。やっぱり、それが持って生まれた運命だったと思います。

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