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江夏の21球の時の近鉄佐々木恭介選手は何故スタメンではなく9回に代打で登場だった...

jya********さん

2018/11/722:30:14

江夏の21球の時の近鉄佐々木恭介選手は何故スタメンではなく9回に代打で登場だったのですか?

最近江夏の21球のビデオを見ました。当時は生まれたばかりだったので、詳しいことは分からないのですが、佐々木選手は前年首位打者で、記録を見るとこの年1979年もかなりの好成績です。何故レギュラーでスタメンでの出場ではなかったのでしょう?

体調を崩していたとか、シーズン後半不調に陥っていたとか理由があるのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

nin********さん

2018/11/1316:30:54

苦肉の策?

私も質問者さんより上ですが、子供だったので覚えている記憶の中での回答です。

当時の日本シリーズは、パリーグ本拠地でもDH(指名打者)制が採用されてなく、投手も打席に入ることになっていました。
※シリーズで初めてパリーグ球場でDH制が採用されたのが、阪神が日本一となった1985年からだったと思います。

近鉄優勝に貢献した4番で指名打者のマニエルは、絶対に外すことはできません。
シーズン中の近鉄の外野のスタメンは、レフト栗橋、センター平野、ライト佐々木でした。
前年までセリーグのヤクルトにいたマニエルが守っていたのが、佐々木と同じライトでした。
強打の1番バッターの平野、マニエルとともに強力打線の核となった栗橋、どちらとも外せなかったので、佐々木を控えにするしかなかったのでしょう。

質問した人からのコメント

2018/11/14 00:09:45

なるほどそういった事もあったかもしれませんね。ありがとうございました。

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