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世界史についての質問です。 北伐が完成したのは ・蒋介石率いる南京国民政府が...

adg********さん

2018/11/1608:10:01

世界史についての質問です。
北伐が完成したのは
・蒋介石率いる南京国民政府が張作霖らの奉天軍閥を破り、北京に入城した
・関東軍による張作霖爆殺事件で張学良が蒋介石と手を組んだ
この

どちらなのでしょうか?
過去問と教科書で書いてあることが違ったので…

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ste********さん

2018/11/1702:08:53

北伐とは、北方への遠征(征伐)という意味の用語になります。

https://kotobank.jp/word/%E5%8C%97%E4%BC%90-132775#E6.97.A5.E6.9C.A...

例えば、古い時代では三国時代に諸葛亮が魏に対して行った
遠征を北伐といいました。

蔣介石率いる国民革命軍の北伐の目的は、最初から北京の制圧と
決まっていました。

北伐が開始される直前の中華民国の情勢は、
首都の北京を北洋系の軍閥が支配していました。
最終的に、奉天派の張作霖が北京政府を牛耳っていました。

中国国民党は広州を拠点に独自の政府を作り、北京政府に
対抗する情勢でした。
いわば、南北朝時代のような情勢です。
北伐はこれを打開するための戦略でした。
つまり、北京を攻略し、軍閥政府を打倒して、
中国を再統一するということが目的でした。
ですから、蔣介石の最終目的は北京でした。

北京に入城した時点で、蔣介石の北伐は完成したことになります。
この時、張作霖はたいして戦いもせずに、北京を手放して
奉天に退却しようとしました。
奉天は、彼にとっての根拠地ですから、ある意味で当然の戦略でした。
蔣介石も北京占領という目的を果たしていますので、
張作霖を追撃していません。

>張学良が蒋介石と手を組んだ

これは、北伐の次の段階のことになります。
張作霖爆殺事件の後、長男の張学良が奉天派の軍閥の後を継ぎました。
張学良は、父を殺した日本を敵と考え、
蔣介石の側につくことを決断しました。
この出来事を易幟といいました。(東北易幟とも)

https://kotobank.jp/word/%E6%98%93%E5%B9%9F-1276316#E4.B8.96.E7.95....

要するに、張学良が中国国民党に入党し、
南京国民政府を中華民国の正統な政府と認めたという出来事でした。
これによって、奉天派の支配していた東北地方(日本側は満洲と呼んだ)が
国民政府に統合され、中国の再統一が完成することになりました。

すこし細かく整理すると、
28年6月…北京占領→北伐の完了
28年12月…張学良の東北易幟→中国統一…国民革命の完成
というような区分ができます。

もっとも、これはあくまで通説です。
これとは違う考え方・学説も存在します。

質問した人からのコメント

2018/11/22 22:03:08

返信ありがとうございます
勉強になりました!

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goo********さん

2018/11/1608:28:32

前者ですね。北京進攻までが一区切りだったはずです。

蒋介石にとっては国共合作を破壊したために共産党を敵に廻し、日本軍と山東出兵で地域紛争を起こしています。
張作霖を北京から追い出せば一応北伐は成功で、これ以上の軍事行動は腹背を襲われる危惧があったでしょう。
それに満州まで深追いすると関東軍と軍事衝突する恐れもあります。

張作霖爆殺は想定外だったでしょうね。

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