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クイーン フレディマーキュリーについて

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ID非公開さん

2018/12/117:07:30

クイーン フレディマーキュリーについて

こちらの町山智浩さんがクイーンとフレディについて話している記事があって、町山さんは、"1985年のライブエイドにおいてフレディはエイズで死が迫っていた。we're the championも別れの曲なんだ " と言っているのですが、エイズと診断されたのは1987年ですよね?

https://miyearnzzlabo.com/archives/52995/2

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eru********さん

2018/12/213:57:49

このインタビュー、かなり町山の事実誤認が入ってるし、クイーンをよく知らない相手に分かりやすくという配慮からか、相当強引な牽強付会も見られるよね。



お書きの通り、フレディがHIVキャリアであると診断を受けたのは1987年頃とされている。1985年のライブ・エイドの時点ではその事実は本人を含め誰も知らなかったとされる。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」では、フレディが自分がAIDSに罹っていると医師に知らされ、他のメンバーにその事実を伝えた上でライブ・エイドのステージに立ったように描かれていた。町山はそれを史実と誤認したのかもしれないが、ライブ・エイドの時点では少なくとも他のメンバーはフレディの病気のことは知らなかった。

まあ、1985年の時点でフレディはすでにウイルスに罹患していたのは間違いなく、本人は身体の変調を感じていた可能性はある。この当時はAIDSは同性愛者の感染症という認識が強く(そのことが世間の同性愛者に対する偏見と差別を一層強めることになった)、実際に当時の同性愛者の罹患率は極めて高いものだった。
フレディの身近にいた人の中にもAIDSを発症した者が何人も出ていて、長いこと狂ったように数多くの男性と関係を持っていたフレディは、いずれ自分も必ずこうなるという強い予感をもっていたとしても不思議ではない。

でもこういうことは全部憶測だ。フレディが1985年の時点で、自分に死期が迫っていると自覚していたことを証明する証言は何もない。6年後にフレディが亡くなったことを知っている後世の人間が、逆算してこのステージのとき彼は自分の死を悟っていた「はず」と思いたがっているだけだ。
1985年時点でフレディが死期が近いことを感じていた可能性はあるけど、断定はできない。断定できない故人の心の内を、さも事実のように語るのはよくないと思うね。


それから「We Are the Champions」が作られたのは1977年。この時点ではAIDSという病気はまったく知られていなかったし、フレディもすこぶる健康だった。
この曲とフレディの死を結びつけるのはまったくナンセンス。ライブ・エイドでこの曲を演奏したのも、クイーンを代表するヒット曲で間違いなく盛り上がるナンバーだったから。
死期を悟ったフレディの、観客への告別の歌だったなんて、そんなの考え過ぎだって。たとえ自分の死を悟っていたとしても、フレディとクイーンは徹底したエンターテイナーだ、そんなお涙頂戴の理由で演奏曲を選ぶはずがない。

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see********さん

2018/12/721:49:53

87年ですね。

なんか有料版の評論の方では、そこら辺についてはあえて間違いとわかりつつ話した的なことを言ってるらしいですよ。
その有料版を聞いてないんで、非常に無責任な回答ですが……笑

tsu********さん

2018/12/313:26:25

町山さんの解説は、映画の内容をそのまま鵜呑みにしているだけなので、事実とはだいぶ違います。まぁ氏は映画評論家なので、映画について過不足なく語れれば良いのだとは思いますが・・・・。

前後の時系列を、判明している限り順に並べていきますね。
1982年11月:「Hot Space」ワールドツアー終了
1983年初頭:フレディソロアルバム「Mr.Bad Guy」レコーディング開始
1983年8月:クイーンアルバム「The Works」レコーディング開始
1984年1月:クイーンアルバム「The Works」完成
1984年2月:クイーンアルバム「The Works」発売
1984年8月:クイーン「The Works」ワールドツアー開始
1984年10月:ツアーで南アフリカ・サンシティ公演
(後にサンシティ公演は猛批判を受け大問題となりバンドは窮地に立たされる)
1985年1月:クイーン、ロック・イン・リオ出演(2日で60万人を動員)
1985年1月:フレディソロアルバム「Mr.Bad Guy」完成
1985年4月:フレディソロアルバム「Mr.Bad Guy」発売
1985年5月:クイーン「The Works」ツアー終了(最終公演地は日本)
1985年7月:クイーン、ライヴエイド出演(映画はここまで)
1985年9月:クイーンアルバム「A Kind of Magic」レコーディング開始
1986年4月:クイーンアルバム「A Kind of Magic」完成
1986年6月:クイーン「Magic」ヨーロッパツアー開始
1986年8月:クイーン「Magic」ヨーロッパツアー終了
1986年秋:フレディ、一度目のエイズテストを受ける(結果は不明)
1986年秋:フレディ、テスト結果が出る前にお忍びで日本旅行へ
1987年初頭:フレディ、二度目のエイズテストを受ける(HIV感染が判明)
1987年:フレディの方針により今後はツアー活動を行わないと発表
18987年:時期は不明ながら、フレディのエイズが発症
1987年2月:フレディ、ソロアルバム「バルセロナ」制作開始
1988年2月:クイーンアルバム「The Miracle」レコーディング開始
(この時メンバーを自宅に集め「僕が病気なのはもう知っているよね?でも僕は何も変えたくないし、知られたくもない。それについて話したくもない。僕はただ倒れるまで仕事を続けたいんだ。だから僕をサポートしてほしい」と告白(ロジャー・テイラー談)。同時に、フレディの提案により曲のクレジットがQUEEN名義に統一されることが決まる)
1988年6月:フレディ、ソロアルバム「バルセロナ」完成
1989年1月:クイーンアルバム「The Miracle」完成

いつから異変を感じていたのかは、フレディにしか分かりません。もしかしたら映画のようにライヴエイドの頃には予兆があったのかもしれない。
ただ、エイズテストを受ける前までは、大々的なツアーも敢行していて、かなり活動的ですよね。それがテスト後は、相変わらず精力的ではあるものの、活動範囲がスタジオワーク中心へとシフトしています。

ちなみにWe Are the Championsは1977年の曲なので、まだフレディがHIV感染してない時期(発症から逆算した推測ですが)の曲ですね。

vai********さん

2018/12/121:38:02

町山の間違いだよ~

笑っちゃうな~

VAIBS

han********さん

2018/12/119:44:18

HIVウィルスは感染すると風邪のような症状が出てから、5年から10年の症状のない潜伏期間があります(個人差あり)。その後、合併症などが発生してAIDSと診断されるわけです。

町山さんご自身がどこまで知識があって言われているかは知りませんが、別に間違ってはいません。

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