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奈良盆地の天香久山、畝傍山、耳成山、三輪山などは、奈良時代の形そのままの姿で...

out********さん

2018/12/1022:22:19

奈良盆地の天香久山、畝傍山、耳成山、三輪山などは、奈良時代の形そのままの姿で今日まで来ているのでしょうか?天智天皇などが見たままの姿なのでしょうか?

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meg********さん

2018/12/1101:27:25

山の地形そのものは、変わっていないはずです。歴史時代に入ってから噴火したわけでもありませんし、地滑りなども起きていないようですから。

ただ木の茂り方が変わります。
春日権現験記絵や信貴山縁起絵巻など中世の絵巻物で見る野山は、現在のように木々が生い茂っておらず、草地や裸地にぽつりぽつりと松などが生えているように描かれています。
今年の正倉院展では、奈良時代に描かれた初期の山水画が出展されましたが、その風景もまた同様でした。

本来、野山は最初から木が生い茂っているわけでなく、最初は裸地で栄養分もなく、そこにまず、やせた土地でも成長できる松が生え、落ちた松葉が腐敗して次第に土地が肥え、次第に広葉樹に変わっていくのです。そこに人の手が入ると、燃料として伐採されまた裸になり、の繰り返しです。

私が小さかった50年前は、まだ薪を使っていましたので、山は現在のようにもこもこしておらず、松林の見通しの良い明るい山がたくさんありました。

質問した人からのコメント

2018/12/15 16:13:19

奈良時代の人が見た三山と三輪山はどんな風景だったのでしょうか。のどかな風景だったことは確かだったことでしょう。有難うございました。

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u7m********さん

2018/12/1109:21:32

風雨による浸食や地殻変動で1メートルくらい標高が低くなったり、東西南北にずれてるかも知れませんが、周囲も同じですから見た目では判断できないと思います。
それよりも低山の印象は植生です。これは季節によっても変わるし伐採、植林で容易に変わる。恐らく奈良時代とはずいぶん違ってるはずです。私の故郷の山々も、遠くの高山は全く変わりませんが、近くの低山はずいぶん違います。昔のように山の中でも畑を作ったり、燃料用に薪を採ったりすることがなくなり、誰も手を入れないからでしょう。成長の早い落葉樹だらけになり特徴に乏しくなりました。たった数十年でも植生だけで大変貌を遂げてます。

aki********さん

2018/12/1108:52:55

香久山はどこまでが香久山かわからんような形状だが、真ん中に道路が有るがあれは香久山なのか間だから違うのか、ただ見た目は変わってそうだが。
耳成山の山頂あたりの神社って江戸時代よりは古くなさそうだが、そこまで続く山道もなんか昔と変わってるような気がするんだが気のせいか。

三輪山は台風の影響で木が倒れまくって全然形が変わったなぁってのがここ10年で2回ぐらいあったが、その影響で小規模な土砂崩れぐらい起こってるかと。

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won********さん

2018/12/1100:06:22

住宅開発や宅地造成などで平地はまったく変わっているでしょうが、山の形や配置は変わらないはずです。

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