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元中日の酒井敏明選手を知ってますか?

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ID非公開さん

2018/12/2308:21:25

元中日の酒井敏明選手を知ってますか?

1955年

酒井敏明(21)=桑名高ー早大、右投右打、5尺8寸5分、20貫、東京六大学の花形プレイヤー。早大優勝の功労者の一人として活躍したのは有名。本人の希望で中日入りが実現したもの。打率も秋季リーグ戦では0・233でベスト・ナインに選出、六大学選抜軍の捕手として近くフィリピンに遠征する。とくにヘッド・ワークにたけている点、中日捕手陣には大きなプラスとなろう。

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2018/12/2507:18:16

知らなかったのので調べました。

三重県立桑名高等学校から早稲田大学に進学。

東京六大学野球リーグでは在学中3回優勝。

1年下のエース木村保とバッテリーを組む。

4年生時の1955年秋季リーグでは、長嶋茂雄(立大)らと共にベストナイン(捕手)にも選ばれた。

同年12月にフィリピンで行われたアジア・アマチュア野球選手権日本代表(東京六大学リーグ選抜チーム)に選出され、木村、長嶋、森徹(早大)、佐々木信也(慶大)らとともに全勝優勝に貢献。

リーグ通算58試合出場、160打数33安打、打率.206、0本塁打。

大学同期に二塁手の松岡雅俊がいる。

1956年、中日ドラゴンズに入団。

1957年には20試合に先発マスクを被り、吉沢岳男、河合保彦と定位置を争う。

しかし打力に劣りレギュラーに定着することはできなかった。

1958年は一塁手としても起用され、1959年のみ内野手として登録される。

1961年限りで退団。

その後は中部日本新聞社(現在の中日新聞社)に入社し、東京中日新聞(現在の東京中日スポーツ)記者となる。

同社報道部次長、編集委員を経て定年の1994年まで在籍、定年退職後も同社社友として大学野球を中心に取材を続け、死の直前まで寄稿を続けていた。

通算301試合出場。
496打数 94安打 3本塁打 36打点。
打率.190

背番号
57 (1956年、1960年)
4 (1957年 - 1959年、1961年)

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質問した人からのコメント

2018/12/25 13:14:18

うひょおおお

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