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歴史学の世界では、その遺物が、どういう様式で作られたかで作られた年代を推測す...

nip********さん

2018/12/3109:48:22

歴史学の世界では、その遺物が、どういう様式で作られたかで作られた年代を推測するそうです。

では、弥生時代初期の遺跡から、縄文式土器が発掘されたとして、その縄文式土器は、縄文時代晩期生まれの高齢の人間が、弥生式土器の様式を拒否したままに作ったものであったとするならば、発掘後にいつの時代の土器であると推測されることになるのでしょう。

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kur********さん

2019/1/310:34:25

面白い着眼点だと思います。縄文・弥生の括りだと、期間が長すぎですけど、弥生時代内のある特定の期間の土器様式の違いとかでは、そういうこともあったのかもしれませんよ。

土器が1つだけしか出土しなかった場合は、その土器の年代からの推測とされることが多いようです。お話の事例では、縄文時代風の土器のカケラから、縄文遺跡と推定される可能性がある。ただし、土器のかけら1個出ただけでは、そこらの民家の庭先でもあるような話で、史跡的な価値が殆どありません。古墳とかでも土器ぽろっと1つ見つかっただけとかいう遺跡は、大抵「年代不明」とされ、史跡的価値も低いので、そのまま放置です。ほっくり返したらスゴイ発見があるかも分からないけど、そういう微妙な遺跡は全国ゴマンとあるので、とても調査の手が及ばないのです。

それなりの規模の遺跡だと、複数の土器が出土しています。同じ地層から、いくつかの年代の土器が混ざって出土することもありますが、その場合、それぞれの年代がどれくらいの割合で存在するのかと、その地層で最も新しい土器がどれなのかを重視して、年代特定をするようです。

弥生時代の土器の場合、細かい様式の違いで20年とか30年単位での推定までされるケースがあります。静岡県沼津市にある「高尾山古墳」では、土器の様式から、古墳の造営は230年頃、実際の埋葬は250年頃と推定されています。要するに、この地域のこの様式だと西暦230年頃、こっちだと西暦250年頃と分かるわけですね。このスケールで考えた場合、あなたが気にされているような、流行りの新作250年土器の中に、230年様式にこだわった頑固ジジイの土器が混入することも十分あり得ると思います。新作土器が大好きの現代っ子と、物持ちが良くって、古い様式の土器を大切に使っている人だっていたと思う。こういうシチュエーションでで、たまたま古いタイプの土器だけ残ったら、古い時代の遺跡と推定されちゃうのかもしれません。ただ、上に書いたように、ちゃんとした発掘調査をされている規模の遺跡だと複数の遺物が出土されるので、割合から250年頃の遺跡と推定できる。この場合、「230年様式の出土からこの時期に始まり、250年頃に最も栄えた集落」と理解されるかも。今となっては、その集落が本当に230年から成立していたのか、頑固ジジイがいただけなのか、判別は不能。


あと、出土された場所と、粉砕されているかどうかなどの使用状況。古墳などの場合、造営工事・埋葬・その後のお祈り・・と長い期間に渡って時代時代の人が関わっていることが推定されるわけで、例えば4世紀の古墳周辺に6世紀に行った何らかの祭事に使った遺物がのこされる可能性だってあります。その場合、古墳のどの部分にどのように配置されていたかなども重視される。上に書いた高尾山古墳でも、土器の様式と出土場所・配置から、造営時期と埋葬時期の20年くらいのズレが想定されています。
他にも、竪穴式住居の柱を立てた跡の穴の底に、粉砕されている土器が見つかることがありますが、穴に古い土器を砕いて敷き詰めて、その上に柱を立てる→建物が撤去された後、残った穴に土器を砕いて埋めたなどということがなされたこともあるようで、穴の底にある土器を調べることで住居を建てた年代が、上の方に残った土器で、建物が役割を終えた年代を想定できます。ただし、ココで粉砕使用された土器は、日常生活上要らなくなった、その時点でも古い土器である可能性があり、それによっては、微妙に時期がずれることはあるのかもしれません。

質問した人からのコメント

2019/1/6 19:51:33

頑固ジジイは何十年か年代を誤らせますよね。貴重な存在かも。

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zzz********さん

2019/1/510:41:32

弥生時代でしょ。私は考古学は信用しない人間です。月日がたてば年代が変わるからです。年代が変われば、今までの正→誤になります。全てが1からやり直しでしょ。今の考古学は成分検査で詳しくやったりしていますから、過去の事例を含め多少の変化でも気づくと思いますよ。しかし、その弥生時代ぎ間違いって気づくのも遅い(笑)

nam********さん

2019/1/104:45:03

弥生遺跡から発見された土器は弥生土器になります

福岡市博物館のサイトから引用します


http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/361/index02.html

縄文土器から弥生土器へ
縄文時代終わりの約2千7百年前の晩期後半は、板付遺跡などで水田跡が見つかり、水稲(すいとう)農耕が伝わった時代であることがわかってきました。水稲農耕が行われた事が明らかになると、その時期を弥生時代と考え、弥生時代早期という時代が設定されました。
縄文時代と弥生時代は土器の分類で分けられていましたが、その移り変わりが明らかになるにつれて再考が迫られてきました。近年では土器が出現してから後を縄文時代、そして水稲耕作が始まってから後を弥生時代と、文化要素で分ける考え方が多くなっています。そして、縄文時代の土器を縄文土器、弥生時代の土器を弥生土器と呼ぶようになりました。時代区分は現在の私たちが歴史をとらえる時の考え方の問題なのです。
縄文土器と弥生土器は連続してつくられた素焼きの土器です。それぞれの時代を通した定義はできませんが、縄文時代晩期に、朝鮮半島から稲作文化と一緒に伝わった半島の土器情報の影響を受けて成立したものが弥生土器ということができます。

hoc********さん

2019/1/100:57:38

縄文土器と弥生土器の境目は区分しづらいということで、現在では縄文時代と弥生時代の区分方法は土器ではなくなってきています。
http://rekishikenkyu.seesaa.net/article/458776089.html

ohx********さん

2018/12/3122:05:57

縄文時代と弥生時代が併行してた時代がありましたので、その場合は、縄文土器です。

kos********さん

2018/12/3116:20:13

地層の土でも判断するそうです。福岡市は数が多いので土層でもそこそこ判断するそうです。後は焼成温度で硬さが変わったり、周りに出てくるもの(平安期近くでも打製石器や磨製石器が出ます)で判断もします。

目印になる層があるのです。
例えば九州なら鳥栖ローム層とか。

やはり見た目も焼成温度も土質も違うから、紛れ込んでも違和感があるのでわかりますよ。壊れやすい物をわざと作るようなものは中々無いです。

確かに弥生期で使ってた大きな瓷を古墳時代に棺桶に使ってたりはするんですが、そこは専門の学芸員さんはあっさり見分けます。

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