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織田信長が信孝に「三好」を継がせようとしたのは何故ですか?

pog********さん

2019/1/615:19:41

織田信長が信孝に「三好」を継がせようとしたのは何故ですか?

ウキペディアによりますと・・・

■1582年2月、信長は交渉決裂した長宗我部氏の征伐を決意。三好康長(長慶の叔父)に四国遠征の先鋒を命じて一足先に出陣させた。5月、信孝を四国攻めの総司令官に抜擢。
■この時、信長は朱印状を出して、征服後には讃岐一国を信孝に与えるとし、阿波国は康永に与え、伊予・土佐二国の帰属は信長が淡路島に出陣した時点で申し渡すとした。
■また信孝が三好康永の養嗣子となり、三好氏を継いで四国を治めることが予定されていたようである。

*三好のネームバリュー、三好へのリスペクトが考えられますが、信孝に「三好」を名乗らすメリットがあったのでしょうか?

*それ以前に、羽柴秀吉も甥を三好康永の養子にして「三好信吉」と名乗らせています。信長はそれを知った上で、信孝の養子縁組を内定させたようです。


■まじめに聞いてますので、アホや冷やかしはご遠慮ください。

補足質問の趣旨は、ここまで大きくなった織田家の三男が、わざわざ三好の名跡を継ぐメリットがあったのか?ということです。

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jun********さん

2019/1/615:57:29

三好氏は、土佐の長曽我部氏が台頭する前の四国最大勢力です。
だから、四国を統治するには、三好の名前が役立つと考えた訳です。
この手の手法は、他の戦国大名も、多数行っており、
毛利家は、次男には山陰の名族、吉川氏を名乗らせ、
三男には瀬戸内海地方で知られた小早川家を継がせています。
武田家では四男勝頼に諏訪、五男盛信に仁科といった、
信州の伝統ある家を継がせ、信濃統治に用いました。

織田家でも、伊勢を征服するにあたり、
信長の弟、信包に西伊勢の豪族、長野氏を継がせ、
次男の信雄には、伊勢国司の北畠氏を名乗らせました。
更に将来の九州征伐を見据え、明智光秀には惟任、丹羽長秀には惟住、
という九州の古代豪族の姓を与えています。

また、秀吉が甥の秀次を三好の養子とさせたのも、
将来、自分に四国征伐を任せて下さい、という自己アピールだったと、
考えられます。

  • 質問者

    pog********さん

    2019/1/616:20:44

    質問の趣旨は、ここまで大きくなった織田家の三男が、わざわざ三好の名跡を継ぐメリットがあったのか?ということです。
    ■回答ありがとうございました。

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質問した人からのコメント

2019/1/6 16:32:43

一般論じゃなく、具体的に分析してほしかったです。

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