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ボスニアの内戦は何故起きたんですか?

gun********さん

2019/1/2319:16:23

ボスニアの内戦は何故起きたんですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

zez********さん

2019/1/2815:20:59

旧ユーゴの諸共和国が「その共和国とされる領域の主導民族」を定めて構成されたのに対し、ボスニア・ヘルツェゴビナはイスラム教徒のボシュニク人、カトリックのクロアチア人、東方正教のセルビア人がもともと混住していた地域でした。なので、民族主義運動を弾圧し民族融和を国是としたティトー体制下では「民族紛争から解き放たれたユーゴスラビア」のモデル地域となっており、首都のサラエボでは民族間の通婚や交流も盛んに行われていました。

しかし、ティトーが死に、それから10年弱で共産党の独裁体制が崩壊して各共和国で民族主義勢力が政権を握るようになると、ユーゴスラビア全体では最大の人口を持つセルビアが「ユーゴスラビア連邦政府」を牛耳って「セルビア人が支配するユーゴスラビア」をつくろうとし、それに反発したスロベニア・クロアチアは独立を宣言して「ユーゴスラビア内戦」が勃発します。

さて、ボスニア・ヘルツェゴビナではボシュニク人・セルビア人・クロアチア人の三勢力が共存していたのですが、ユーゴスラビア連邦がセルビア人優遇政策を推し進めようとすることでボスニア・ヘルツェゴビナにおける最大勢力のボシュニク人勢力はセルビアが牛耳るユーゴスラビア連邦からの離脱を図ろうとしはじめます。これによってボスニア・ヘルツェゴビナ内のセルビア人・クロアチア人がそれぞれ武装組織を作ってボシュニク人が主導するボスニア・ヘルツェゴビナ政府に対して武力蜂起を実施するに至りました。

ま、そんなわけで、他の連邦を構成する諸共和国よりも人種構成に統一性がなかった分、平時においては「民族協和の模索」を行っていた地域だったのが「凄惨な内戦」に転化してしまったんですね。ティトー率いる共産党体制下では民族紛争の再発を避けるために国内で最大勢力であるセルビア人に「最大勢力として」の特権的地位を与えないようにしており、ティトーの死後に民族主義勢力は「セルビアはユーゴスラビア政府によって弾圧されてきた」と宣伝してセルビアでの支持を獲得したんです。こうなると他地域のセルビア人も同様に「我々は弾圧されてきたのか、じゃあそれを取り戻すために実力行使したっていいよな」って方向になっちゃうわけです。

結局、これらの問題はいつも同じですが「ユーゴスラビアとして一緒になるべきではなかった」というあたりに帰着してしまいますね。救いもなにもない結論ですが。

質問した人からのコメント

2019/1/29 00:44:09

ありがとうございます。

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