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日本は古来より複数の王権が並立し、統一王朝へ歩みはじめるのは壬申の乱以降。こ...

ame********さん

2019/1/3006:01:22

日本は古来より複数の王権が並立し、統一王朝へ歩みはじめるのは壬申の乱以降。こういう考え方が今では一般的なのでしょうか。

学校では、3~4世紀にかけて大和朝廷を中心に統一されたと教わったように記憶しているのですが。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2019/1/3006:35:05

未だ定説がありません。
王朝交代説が一般的な気がしますが、それも諸説あり、意見の一致をみてません。
又、万世一系説も否定された訳ではありません。
最近の教科書を読んだ事ありませんが、教科書を書き換えられるほどの発見はないと思います。

質問した人からのコメント

2019/2/2 17:47:52

みなさん、ありがとうございました。とても参考になりました。

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pin********さん

2019/1/3019:16:14

「壬申の乱」以降には間違いないのですが、「統一王朝」と言うことになると、もう一山あります。
「壬申の乱」で、「九州倭国(天武系)」に対して反旗を翻した「天智―藤原系」が潰されるのですが、何せ「天智―藤原系」は、第30代百済武王の王族集団で、642年の亡命直後以降に「九州倭国(天武系)」と政略的な婚姻を行っていたのと、唐対策の関係で、一時共同歩調を取りますが、奈良朝政治の暗闘で、最終的に「天智―藤原系」が優位に立ち、また「九州倭国(天武系)」の皇統が「称徳」の代で断絶し「光仁(天智の孫)」が即位するに及んで、都も平城京から長岡京を経て平安京の時代に突入した時点が、本当の意味での統一王朝の開始ではないでしょうか!

zeu********さん

2019/1/3009:27:29

統一という言葉の解釈を偏屈な学者がつけただけです。

大和朝廷の統一というのは、実質は奈良盆地近辺の豪族たちの連合政権による統一です。
大王(おおきみ)は大和政権の代表であり、シンボル的存在でしかなく、権力者ではありませんでした。

聖徳太子の理想はこの大王(おおきみ)を代表、シンボル的な存在ではなく、中央集権国家のトップである皇帝(天皇)にして名実ともにある権力者にしようとしたものです。
その具体的な姿が唐の律令体制であり、日本は律令国家へと舵を切っていきます。

壬申の乱によって、近江朝廷についた豪族は淘汰されることになり、天皇の権力が強まる結果となりました。
壬申の乱で天皇の権威・権力が強まった=真の朝廷となった

ということを重視して、壬申の乱以後が天皇をトップとする強力な朝廷支配がはじまったことを言っているに過ぎません。
ですから、一般的な考え方ではないと思いますよ。

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z_x********さん

2019/1/3007:18:41

それ九州王朝説の人が固執してるやつですよね。
一般的には3~4世紀にかけて前方後円墳が全国に展開するので、
近畿を中心とするヤマト王権が全国に権力を広げていったと考えられてます。
そのヤマト王権と後の大和王権が同じかどうかは確定まではしてません。

ham********さん

2019/1/3006:44:17

「統一王朝へ歩み始めるのは壬申の乱以降」という考え方の方が、マイナーですよ。
壬申の乱というのは、統一戦ではありませんし、それ以前より統一王朝は存在します。それがヤマト王権ですから。

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