大正天皇の誕生日が祝日じゃないのはなぜ?

大正天皇の誕生日が祝日じゃないのはなぜ? 11月3日と言えば、みなさんご存じの通り「文化の日」という祝日です。 この日は明治天皇の誕生日であり、かつては「天長節」「明治節」などと 呼ばれていました。 また、昭和・今上天皇の誕生日は祝日なのですが、では大正天皇は どうなったのでしょうか? どうして、大正天皇だけが誕生日が祝日として残されなかったのでしょうか? 大正天皇が短命だった事と何か関係がありますか?

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ベストアンサー

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以前同様の質問があったときに書き込んだ文章を引っ張ってきます。 大正天皇の在位中は「天長節(天皇誕生日)」はありました。即位の年と翌年は8月31日に式典が行なわれましたが、上の方が書かれているように、酷暑のため10月31日にずらして実施されることになります。 その死後に誕生日や天長節が祝日になることはありませんでした。 その理由としては、亡くなった1920年代半ばという時期の特殊性が考えられます。 この時代は、第一次世界大戦中のロシア革命やドイツ革命の余波でヨーロッパ各国でも君主制が動揺し、国内でも「大正デモクラシー」や労働運動・小作争議の高まりで「革命」の危機感があった時代だったのです。 そんな時代に天皇が病弱であることは、天皇の権威を失墜させかねないし、国内の統治秩序にも問題が生まれかねません。そこで政府は、能力のある若き皇太子を「摂政」という形で前面に押し出し、大正天皇の死後は新天皇に人々の関心を向かせることで、すみやかに天皇のイメージアップをはかろうとしたようです。そのため、「大正」という時代を忘却させるためにも、記念日の類を設定しなかったと考えられます。 なお、天皇家の家内行事である宮中祭祀には「大正天皇例祭」はあります。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

そんな国内事情があったんですね。ありがとうございます。

お礼日時:2008/11/5 6:24

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17

紙をまるめて 「よくみえる」 といったことと、関係するのかもしれません

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19

明治の頃は11月3日は天長節として祝日でしたが、明治天皇崩御後しばらくは平日で、明治節という祝日になったのは昭和2年からです。 大正天皇の時代も大正天皇の誕生日は天長節として祝日でしたが、崩御後に天長節を祝日にしようと言う動きがないまま今日に至っているようです。 ちなみに大正天皇の誕生日は8月31日ですが、暑くて行事をやってられないと言う事で大正2年から10月31日を天長節祝日となりました。

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12

それは考えたことがありませんでした。 そういわれればそうですね。 大正天皇は明治天皇の直系ではないからでしょうかね、もしかして。 明治天皇は子だくさんでしたが女の子が多いうえに、男子も夭逝することが多かったので直系の跡継がいませんでした。

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17

ID非公開

2008/11/1 22:39

歴史上、そっと忘れたい天皇がいたっていいじゃありませんか。

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