ここから本文です

石田三成が家康暗殺を阻止したのは、豊臣政権の威信を守るためだったのでしょうか?

kok********さん

2019/2/1720:49:11

石田三成が家康暗殺を阻止したのは、豊臣政権の威信を守るためだったのでしょうか?

石田三成は、大野治長と土方雄久が徳川家康の暗殺を企てていることを家康に伝え、家康を救っています。政敵である家康を助けるのは奇妙に感じますが、これは方法が暗殺だったからなのでしょうか。

暗殺の例には、室町幕府将軍の足利義教が御家人の一人である赤松満祐に暗殺された「嘉吉の変」や、大老井伊直弼が水戸藩の脱藩者に討たれた「桜田門外の変」などがありますが、いずれもその暗殺事件がきっかけで、ただでさえ揺らいでいた政権の威信はさらに大きく揺らぐことになりました。

これと同様に、もし家康という五大老の筆頭ともあろう者が、家臣の一人二人に討たれでもしたら、豊臣政権の威信はさらに揺らぐことになります。それを奉行衆である三成は防ぎたかったのではないでしょうか。前田利家と家康が冷戦状態になった時も、双方の屋敷に諸大名が駆け付けて万が一に備えたのも同じ理由に思えます。

それゆえに「内府違いの条々」を(全国にではないが)公表し、家康に明確に非があると示したうえでの「公戦」として、家康を討伐しようとしていたのでしょうか。

関ヶ原の戦い自体が政権の威信に関わる事態といえますが、奉行衆はできるだけ道理が通るように取り計らったと思います。そう考えると、西軍には政権の威信を揺るがしてはならないという「枷」がつけられていた状態での戦いだったのでしょう。

ご意見をお願いします。

閲覧数:
201
回答数:
3

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

kan********さん

2019/2/2308:08:09

そもそも暗殺計画自体、同時代史料や良質な編纂史料による裏付けがとれないことから、大西泰正氏が存在に疑問を呈しています。

徳川家康が大坂城にやってきたのは、自分のいない大坂の政務への不満が背景にあったことが毛利輝元書状から分かります。すなわち①後陽成天皇譲位問題で太閤遺命にこだわるのはよくない(跡部信氏は叡慮を用いて太閤遺命の効力を低下させようとしたと指摘)②秀忠正室を江戸に下向させろ③宇喜多秀家が大坂にいるのはおかしいーというものでした。家康の中では秀頼と淀殿は自分の言うことを聞いてくれるはずなのに何者かが邪魔をしているという主張でした。輝元は有事に備えて軍勢をよこすよう秀元に指示しています。また、毛利家重臣内藤周竹は家康が三万を率いて大坂城二の丸に「押し入られ候」と書状に記しており、谷徹也氏が指摘するように「一種のクーデター」だったと見るべきでしょう。

大坂の秀頼周辺と家康の間には溝があり、家康はこの突破に軍事力を用いたのです。大坂に下った家康の周辺で何かが起きたが沈静化したとの同時代の日記も暗殺とは書いていません。恐らく大坂方が家康の大坂下向の真意を図りかね、ひと悶着あったのでしょう。

家康は大坂を掌握し、「天下之御仕置」を定め、政権運営のあり方を改めます。大西氏はこれにより前田利長や宇喜多秀家が政権中枢から排除されたとみます。利長や加藤清正の上洛に警戒したのも、家康の「天下之御仕置」への反対運動を阻止するためとします。
なお、石田三成の兵は前田対策に駆り出されているので、少なくとも家康は三成襲撃事件以降は三成が自派閥に屈したと理解していたのでしょう。暗殺か公戦かというより政治力学の問題です。

質問した人からのコメント

2019/2/23 22:39:28

回答ありがとうございます。
junさん、kanさんが言うように、暗殺計画は真偽がはっきりしていないのですね。家康がクーデターを起こして政権を主導する体制になってしまい、奉行衆は一層警戒を強めたのでしょう。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

プロフィール画像

カテゴリマスター

jun********さん

2019/2/1722:00:18

この事件自体が風説の類いの情報が多く、
良く分からないのが実相です。
石田三成が告発したというのも、その風説のひとつですが、
もし、それが事実だとしたら、原因は、暗殺事件の黒幕とされた、
前田利長と浅野長政を、家康と離間させようにしたと考えるのが、
もっとも自然ではないでしょうか。
小田原合戦で、浅野長政と家康は極めて懇意な間柄になり、
前田利長も、父利家の死後は家康と接近を図っています。
彼らを家康と離間すべく、三成が噂を流した結果、
前田利長は、母を江戸に人質に差出し、浅野長政も、
大阪を去って国許で謹慎をする、という逆効果になってしまった、
と考えられます。

pea********さん

2019/2/1721:54:31

三成は、前田利家の死んだ日に襲撃され失脚しています。

三成が家康を救ったのではなく、家康に襲撃から救ってもらったはずです。

家康暗殺計画を家康に告げたのは増田と長束ですね。

以上の経緯から、家康は三成を救ったので、奉行衆の支持を得ていたのでしょう。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる