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1297年の永仁の徳政令は幕府が窮乏する御家人を救う政策ですが、なぜ御家人は窮乏...

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ID非公開さん

2019/3/300:07:25

1297年の永仁の徳政令は幕府が窮乏する御家人を救う政策ですが、なぜ御家人は窮乏したのでしょうか?そして幕府が御家人を救ったのは何故ですか?

分かる方お願いします( ; ; )

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ohi********さん

2019/3/301:28:52

御家人が窮乏した理由には幾つかあります。

① 貨幣経済の浸透で生活が奢侈(しゃし)になり,出費が増大したこと。その背景には宋銭の大量輸入がある。

② 元寇以後の鎌倉後期には,分割相続から(長子)単独相続になり,長子(嫡男)以外の子は財産分与で不利になったこと。

③ 元寇による出費(戦闘参加は自己負担)や,その後の異国警固番役(これも自己負担)による出費がかさんだこと。なお,異国警固番役は幕府滅亡まで継続。

御家人というのは,将軍家・鎌倉幕府と主従関係を結んだ武士を結んだ武士であり,幕府を根底から支えていました。その彼らが窮乏するとなると,例えば「いざ鎌倉」と幕府のために尽くそうとしても,窮乏していたのでは十分な働きが出来ません。

このような御家人の窮乏が幕府の弱体化を招き,後醍醐天皇による討幕運動が起きるのです。

  • ohi********さん

    2019/3/305:16:58

    ③の補足として恩賞の不十分があります。国内戦ですと,例えば承久の乱の場合のように,幕府は敗者から没収した土地を,勝者の御家人に新恩給与として与えました。ところが,元寇は防衛戦でしたから,幕府には没収した土地がありません。だから,幕府は勝者の御家人に,恩賞を与えたくても出来なかったのです。

    ちなみに,自らの活躍を幕府に訴えて,首尾よく九州に新たな土地を得たのが竹崎季長であり,その活躍ぶりを子孫に伝えるために描いたのが『蒙古襲来絵巻』です。

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