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江戸時代における神田明神と日枝神社の位置づけを教えて頂きたいです。ネットで調...

lev********さん

2019/3/1600:00:03

江戸時代における神田明神と日枝神社の位置づけを教えて頂きたいです。ネットで調べると神田明神が「江戸の総鎮守」、日枝神社が「江戸城の鎮守」といった言葉が見受けられます。

なんとなく「江戸の総鎮守」の方が格上な感じもしますが、双方は対等な関係だったのでしょうか?

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onb********さん

2019/3/1600:41:32

日枝神社の総本宮である日吉大社は、戦国時代まで日本でNo.1の神社です
天台宗徒からは比叡山の地主神として信奉されてますが、元々は秦氏の氏神である松尾大社の祭神を分祀した他神社です。
大津京&平安京の守護社とするため西本宮が増設され、大神神社から大国主を勧請して祀ってます

都を守護する、つまり国家の守護神です

豊臣秀吉の母が日吉大社で太陽が腹に入る夢を見て秀吉を身ごもったという伝説があり、豊臣秀吉と縁が深い神社でもあります
秀吉の幼名、日吉丸は、日吉大社から取ったものです

日本の新しい中枢である江戸城の守護社とするために、日吉大社から勧請されたのが日枝神社です
事実上の江戸幕府の守護社

明治維新後は、皇居や帝都の守護社です


関東及び江戸は、朝廷の支配から距離を置いた武士の新開拓地です
朝廷からは謀反人とされた平将門を武の神とするのも、武士の朝廷・御家人に対する対抗意識です

但し、神田明神を江戸総鎮守というのは、幕府とは何の関係もなく、民間の俗称です

徳川家康自体は、仏教の荼枳尼天(仏教系稲荷の本尊)を信仰しており、天下を取った御礼として江戸周辺に稲荷神社を数多く造ったと言われてます

家康の死後、祀り方は日吉大社を参照して、神仏習合形態が取られてます


格で言うと、日枝神社の方が圧倒的に上です

日吉大社の評価が下落した理由は、織田信長による焼き討ちです
比叡山延暦寺と一体とみなされ、一緒に焼かれてしまったからです
現在の社殿は、後に豊臣秀吉が再興したものです

日吉大社のシンボルは比叡山を形どった山王鳥居です

日枝神社の総本宮である日吉大社は、戦国時代まで日本でNo.1の神社です...

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jun********さん

2019/3/1602:28:12

日枝神社は、家康が江戸城を建造した際に、
元々、川越にあった日枝神社を太田道灌が江戸城を築くにあたり、
勧請したもので、そう歴史の古いものではありません。
一方、神田明神は、平将門の怨霊鎮めのために建立された神社で、
日枝神社より、600年以上古い歴史があります。

また、日枝神社は赤坂という土地柄もあり、武家の参詣する神社、
といった色彩が強いのに対し、神田明神は江戸庶民の神社です。
だから、格式といった点では、日枝神社の方が上ですが、
賑わいや収入の多さという点では、神田明神の方が、
ずっと上になります。

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