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「竹島」についての質問です。 会津屋八右衛門(今津屋八右衛門)が、竹島に渡り...

shi********さん

2019/3/2712:05:52

「竹島」についての質問です。
会津屋八右衛門(今津屋八右衛門)が、竹島に渡り、李氏朝鮮と私的な交易を行いました。

浜田藩はそれを黙認していましたが、間宮林蔵に察知されたことにより、浜田藩勘定方橋本三兵衛と共に斬首刑に処されました。

その八右衛門が拠点にしていた島の名前が「竹島」ですが、今の鬱陵島のことだそうです。

ということは、江戸時代の八右衛門が生きていた時代、「竹島」という名称の島は存在していたということになります。それが、今の「鬱陵島」であるならば、今の竹島はなんと呼ばれていたのでしょうか?

江戸時代の日本人による「竹島」は、今の「鬱陵島」であるならば、江戸時代の日本人による今の竹島は、島名をなんと言っていたのでしょうか?今の竹島について、どのように認知されていたのでしょうか?

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jis********さん

2019/3/2717:46:17

【”日本の江戸時代の松島(現在の竹島)を示す地図”】
日本では、江戸期に現在の竹島を「松島」、鬱陵島を「竹島」と呼んでいた。
(「嶋」・「嶌」は「島」に同じ)。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B...

【”日本の江戸時代の松島(現在の竹島)を示す地図”】...

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whe********さん

2019/3/2807:31:32

「大谷家文書」から判明しているように、1620年前後の江戸時代中期には今の鬱陵島を「竹島」または「磯竹島」、今の竹島を「松島」と呼んでいました。

ご質問の記述は「天保竹島一件」(1836年)の事かと思いますが、この4年後からはシーボルト作製の誤った地図が世に出回るようになり、島名の混乱が戦艦天城号の現地調査が実施された1880年頃まで続くことになります。
この経緯を説明するのは少々厄介なのですがw、この調査を経たのちに今の鬱陵島は「松島」と呼ばれるようになり、今の竹島は1905年編入時までは主に「りやんこ島」と呼ばれることになります。

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kie********さん

2019/3/2714:16:20

按知夫、海部、周吉、穩地是也、民部省式班2下國1、職原抄、掌中歴、拾芥抄、節用集、國華萬葉記同、隱岐古記云、本州四郡、分曰2島前島後1、屬島大小百七十九、別有2松島竹島1、松島、歫2穩地郡福浦1、在2六十九里三十五町1、竹島在2百里四町1去2朝鮮1百三十六里三十町、彼呼曰2鬱陵島1、長譯2邦語(ノ)宇留萬1也、

以上「日本地理志料」より引用。ここでいう松島が今の竹島であろうとされています。

shitsumon2018さんにお答えしました。

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