けいおん!!#16「先輩!」についてです。 この回で梓は部室に行き先輩と2人のみになります。 最初は紬と、次は澪と、そして最後は唯とです。ここで疑問が生じました。

けいおん!!#16「先輩!」についてです。 この回で梓は部室に行き先輩と2人のみになります。 最初は紬と、次は澪と、そして最後は唯とです。ここで疑問が生じました。 なぜ律と2人のみになるシーンがないのでしょうか。 カムバック私! このセリフは好きです。

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ベストアンサー

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早速のご指名ありがとうございます。 問い合わせの件ですが、この件には私も以前から気になっていて、アレコレ考えてはみるものの、これだ!と言い切れる回答は持ち合わせていません。 それでも、生煮えの回答でよろしければ、次のように考えます。 主な理由としては以下の2点を考えます。 1点目は「パターンを崩す」ためではないか?ということです。 もともとこの作品は「パターン化」する、あるいは「揃えてしまう」ことによって生じる「単調さ」や「不自然さ」を嫌う傾向がかなり強いように思います。 この回で仮にもし、他の3人と同じように律と梓との2人だけのエピソードを並べ、4つの同等のエピソードが順番に流れていたとしたら、リアルタイムで観た時にはそれなりに面白くても、あまりにもストーリーがパターン化されてしまって、全体としては単調となりあまり印象に残らなかったのではないでしょうか?また、いくらそのような回だと認識してはいても、不自然さがあまりにも際立つようにも思います。 それが澪とのエピソードの途中でいきなり律を「乱入」させるだけではなく、強引に律の家にまで梓まで連れていって大幅に脱線させることにより、面白さが俄然増すとともに不自然さもかなり緩和され、この回自体も非常に印象深いものになったように思います。 ここで想い出すのは今放映中のバンドリ2期ですね。 前半の話数はソシャゲにも登場する各バンドを紹介するだけのエピソードとほぼなっていましたが、1話ごとに1バンドとあまりにもきれいに揃えすぎていたためかなり不自然になってしまい、全体のストーリー進行を著しく阻害してしまい、構成も非常に不自然なものとしてしまっていたように思えます。バンドリの感想を書いたコメでも記述しましたが、もっと積極てきにパターンを崩して全体のストーリーに上手く絡めれれば、もう少しは観れたものにはなったのではないかと思います。もったいなかったですね。 けいおんにおいて「揃えることを避けた」最たるものが、キャラクター構成ですね。 これは原作からそうだったわけですが、同学年の先輩4人に対して後輩1人というかなりアンバランスなキャラクター構成によって、先輩達が卒業する時には後輩が1人だけ残されるという、この作品の終盤に引き起こされるドラマのタネが予め仕組まれていたことになります。 工夫を凝らした、もしくは波瀾万丈のストーリーに頼ることなく、キャラクター構成をアンバランスにしただけで、恐らくは今後のアニメ史上にも残るであろう名シーンを創出し、この作品に対する評価を当初の「女の子がかわいいだけの萌えアニメ」から「青春感動アニメ」へと大転換することが可能となったわけですが、キャラクター間の関係性をよほどしっかりと描かなければそのアンバランスも生かすことはできないわけであり、安易に真似をするわけにもいかないでしょうね。 かといって、ラブライブのように3学年がいずれもそれぞれ3人というのはあまりにも揃えすぎのように思います。 バンドリもそうですが、メディアミックスの一部として製作されたアニメにおいては、あまりにもキャラクターを最初から売る気満々であるためか、何かときれいに揃え過ぎる傾向が強いように思いますね。「商品」は何かと揃えて、規格化しておいた方が方が売りやすいですから。ただ、キャラクターの重心がその「商品価値」に偏り過ぎて、アニメ内での設定を不自然にしてしまったり、内容を著しく制約してしまうリスクが高いような気もします。 ただ、同じソシャゲ出自でもアイドルマスターでの男版では、そのキャラクター構成について明らかにけいおんのそれをベースにしているそうですね。どんな仕上がりとなっているか、興味深いですね。 付け加えると、「揃えさせない」ことによる演出上の劇的なまでの効果が如実に確認できるのが、第2期第20話のライブ後の部室のシーンですね。ここで梓1人だけ涙を出して泣かせなかったことにより、彼女の「立場の違い」を意識的せよ無意識的にせよ視聴者に視覚的に記憶させ、それを最終回の終盤のシーンにリンクさせることにより、この作品を「名作」にすることに大きく貢献しています。 少し脱線しましたが、本質問に対する回答としての2点目は「律と梓の関係性を具体的に描くのを敢えて回避した」、ということが考えられます。 先の回答者の回答内容と似ていますが、回避した理由は少し違うように思いますね。 この回では梓が律以外の上級生3人それぞれと、しばらくの間2人きりで部室で過ごす様子が描かれていますが、いづれの場合においても梓は相手に対して結構な距離感を感じている様子が見受けられるように思います。 もっとも、この回だけではなく他の回を見ても、最初の頃から梓は先輩達とはある程度距離感を感じながら、もしくは距離を保ちながら付き合っている様子が描かれているようですね。 その中でも澪には強い憧れを抱いていて、梓は本当はもっと近しくなりたいようですが、澪の方が本来的に人見知りするタイプであり、かつ心のガードが堅いタイプなので、なかなか成就しにくいようです。 「先輩!」では澪と2人きりになれて素直に喜んでいる様子がある意味かわいいです。それも律の乱入ですぐ終わってしまいましたが。 この辺の一連のシーンでは「カムバック!わたし!」と、自分が求めてきた軽音部、すなわち「本当の軽音部みたいな軽音部」?が実現できそうなことを自分が嬉しく思っていると自覚しているように描かれていますが、べースをチューニングしている澪をじっと見つめる憧れ混じりの彼女の眼差しからは、傍観者としてみている私には、実際には澪と2人きりでいられることの方を喜んでいて、これを機会に2人の間の距離をぐっと詰めたいと思っているのじゃないか?とも思えます。 先輩4人のうち梓が距離感を1番感じないのは、もう少し丁寧にいうと、彼女が最終的に一番懐いた先輩は実のところ律じゃないかと思います。 先の回答者の方の見方とは恐らくこの点が逆であり、確かに1期での最初の方はそのような描かれ方もしていたようにも思いますが、2期の後半近くごろからは、物理的な距離までもかなり短くなっている、つまりは密接しているシーンが数多くはないですが、散見されるようになっています。 特に第2期の「主役!」回ではロミオ役をあまりにも嫌がる澪に律と2人で呆れたり、叱ったりするシーン、あるいはジュリエット役をやらされることになった律、またメイド服を着た律をからかっているシーンまでが描かれており、このように意気があったり、完全に打ち解けているような様子は他の3人との間では最後まで見られなかったように思います。 それでは、なぜそのような関係性をこの「先輩!」回では描かなかったか?ですが、そのような関係性をそこまであからさまにしたくなかったからでしょうね。 この作品は「あえて描かない」ことによる演出の巧さがずば抜けており、はっきりとは明示せず含みを持たせることで視聴者に想像させるための余地を残し、描写に深みを与えるというような演出を駆使しています。何回見ても全く飽きない面白さを持っているとよく言われますが、その理由の1つがこのような点にあると思います。 梓と律の関係性については先の回答者のように思うのがむしろ当たり前でしょうが、何回も繰り返し、もしくは注意深く見ていくと実際には・・・ということに気付かされる、というところが非常に面白いですね。 ちなみに私は第2期番外編の「訪問!」のラストにおいて、校庭で全員で思いっきりジャンプしているところをさわ子先生に写真に撮ってもらっているシーンで、梓と律が横に並んで最後にジャンプしているのを観て、製作陣が確信的にそのような描写をしていることに気づきました。 それでも、他の3人に対しては距離感を持って接しているかのような描写をしていながら、律に対してはその自宅、さらには自室まで赴かせ、さらに手料理まで振る舞ってもらうなど、その懐までに飛び込ませるというようないわば「距離ゼロ」の状況を描くことで、少なくとも律との関係性は他の3人とは違うということを示唆だけはしているのかもしれません。 「また合宿!」回で「ガサツで大雑把だから、あの人はパス」などと梓から「お姉ちゃん失格」の烙印を早々に押された律ですが、「部長」として実に細やかに部員に対して配慮し、また対応力もあるという彼女の一面を部活において共に過ごす日々を重ねるうちにうちに理解していき、梓の受けている距離感が少しづつ変わっていく過程がその気になれば見て取れるように思います。 律と梓の関係性に限らず、各キャラクター間の関係性が固定化されることなく、徐々に変化している状況を丹念に描写している作品ですので、そのような視点で見るのも面白いのではないかと思います。リアルでの人間関係と同様に、明快な正解はないようにも思いますが。 今回の質問に対する回答は以上となりますが、前回の質問者の質問に対する私の回答について質問者からコメントをもらっており、それに補足させて下さい。 『唯の「他人を助けること」が理解できませんでした。これは唯はいつも皆に助けてもらっている、ライブでいつも迷惑をかけているとのセリフがあります。この逆を表現しているのかと思います』 →純から預かっている猫が毛玉を吐いたことで梓がパニック状態になっているのを梓からかかってきた電話で知った唯が直ぐ梓の元に駆けつけ、よくあることであり心配のないことを梓に教えて安心させたことを指しています。実際に教えたのは一緒にいた憂かもしれませんが、主体的に行動を起こしたのは間違いなく唯です。

はっきりとした意志を持って唯が他人を助けたと言えるのは後にも先にもこの場面が唯一だと思います。 また、こちらは本人の意志とは関係ないですが、アルバイト先の職場で失敗して泣いてしまうほど落ち込んでしまった紬にジャストタイムで「間の抜けたメール」を送信し、一瞬で立ち直らせました。 『お恥ずかしながら間違った解釈をしていました。 これまで皆一緒に協力して何かしらを達成してきたが独りになって初めて分かった。一人では何もできない。 こんな感じで受け止めまていました。』 →間違っているとも言い切れないと思います。 人間は本来的に孤独であるとは思いますが、その一方で1人だけでは生きていけない、というのも真理だと思います。 孤独であることに真正面から向き合い、それに負けないことによって、互いに助け合えるような関係性を初めて築けるのではないか?ということを示唆していて、それは「依存」とは自立した大人同士の関係となります。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答者様へ ご意見有難うございます。 この質問に正解はないようです。個々人の想像であると思います。 ぜひ、けいおんを見る機会がありましたら考えてみたら楽しいと思います。

お礼日時:2019/4/1 12:52

その他の回答(2件)

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澪と梓のシーンで、律が家庭科の宿題を手伝ってとお願いした時に律の家へ行きましたよね?その時に律の家へ行ったことによって律のターンは終了したのではないでしょうか。 尺とかもありますし…。律の家に行くことによって律という人物が中心になってストーリーが進められていたんだと思うですよ。 例えば梓と紬で、梓と紬が中心人物になるじゃないですか?そこでまず紬のターンは終わり。みたいな…。(語彙力) 分かりずらくてすみません…。 あと、カムバック私!すごく好きです!いいですよね!

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リクエスト以外の回答者です。失礼します。もちろんBAはリクエストの方に!ちょっと興味があって回答しまして。 1期番外編ライブハウスや2期の暑いでも梓は律ちゃんのカウンターパートにいる。最後は律ちゃんに従うことになる。二人には接点がないし練習に対する姿勢が違いすぎるからかな。水と油は混ざらない!描ききれないからかな。考えすぎですかね。 ああ!1期8話の律ちゃんの確保ーーがその代わりかな。

回答有難うございます。 澪→梓が尊敬している 唯→同じ楽器で梓がギターを教えてあげられる 律→律はさぼりたい、梓は練習がしたい、接点がない こうですか? そうすると紬との接点はどう考えますか。紬は自ら皆を誘って練習するキャラクターには描かれていませんしお茶を誘うシーンの方が多いと思います。楽器パートも違います。 いろいろ考えたのですがもっと奥が深いと思います。