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江戸時代、藩の中身(領地の分け方?

gor********さん

2019/3/3013:17:10

江戸時代、藩の中身(領地の分け方?

)について
毛利氏は関ヶ原で敗れ、領地を縮小されました。そして「一門六席(一門八家)」という、
藩の中で“小分け”していました。つまり
毛利本潘の中に 右田毛利等の本潘“直轄地(この言い方も注意されそうですが)”が6つと、支藩(徳山藩、長府藩、清末藩等)とで、
いわゆる「長州藩」になっていました。←この捉え方でいいですよね?一般的に。
そこで、毛利と同じ関ヶ原で敗れた、佐竹氏、上杉氏も、
藩内で“小分け”、支藩ができたのでしょうか?
特に上杉氏は毛利氏と同じくらいの規模の縮小具合なので、気になりました。
※長州藩は明治維新で“勝ち組”になりましたが、同じ藩の中でも厚狭毛利は、改革に協力的とは見られなかったため、明治以降不遇?の時代を送りました。
それで他の藩でも、地域差があったのか、気になりました。

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jun********さん

2019/3/3013:39:05

毛利家に支藩が多いのは、江戸幕府成立時の当主輝元の叔父たち、
(毛利元就の息子たち)の一族に分封する必要があったからでしょう。
だから、あくまで身内の特殊な事情です。

上杉氏の場合、当主景勝には兄弟もおらず、支藩を立藩させるような、
身内がいません。
従って、支藩も江戸時代に入ってから、ひとつで来ただけです。
佐竹氏の支藩も、同様に江戸期に入ってからできたものです。

質問した人からのコメント

2019/4/4 17:15:54

回答ありがとうございます!
元就の息子、「三本の矢」以外に居ますものね、なるほどです。

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