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最近仏教に関心を持ち始めたものの、疑問が多く、また調べてもなかなか難しく分か...

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ID非公開さん

2019/4/1201:30:00

最近仏教に関心を持ち始めたものの、疑問が多く、また調べてもなかなか難しく分からなかったので質問させてください。

神様と仏様は天国の同じ場所におられるのでしょうか?
天国にも高天原など沢山の場所があり、それぞれの場所におられるのでしょうか?
(閻魔様は神様ですよね...?)

地獄は天国よりも広いという知識はあります...泣

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nao********さん

2019/4/1318:46:10

こんにちは!
なっちゃんです!

宗教が違えば、世界観が違います。キリスト教の神は絶対唯一の神です。キリスト教の信者は、神との約束を守れば、神の国(天国)に行けると信じています。仏教は、バラモン教から分かれて起こりましたので、バラモン教の神を敬います。しかし、帰依はしません。つまり、信仰の対象にはしません。仏教の目的は、天国に行くことではなく、真理に目覚めて仏陀になることです。

天国というのは、キリスト教での言い方です。仏教では、普通、天上界といいます。神のことを天といいますから、天上界とは、神々の住む場所です。

仏様とは、お釈迦様のことですから人間です。人間のお釈迦様が真理を覚って、目覚めた人(仏陀)と呼ばれるようになりました。亡くなられた後、どのようになったのかは不明だし、知る由がありません。

仏教でいうなら、地獄・餓鬼・修羅・天上という世界は、すべて概念です。概念ですから実体はありません。畜生(動物)界と人間界は、私たちが住む世界なので「有る」とされますが、ここもまた因縁によって仮に有る世界ですので、この世界に執着すると真理を覚ることはできません。

以上、なっちゃんでした!

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ベストアンサー以外の回答

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kow********さん

2019/4/1705:45:42

諸行無常、生まれてきては変化して滅する、それがなくなった世界を涅槃という。
だから我々の感覚からすれば無かもしれないが仏教では無とは表現しない。

無は人間が便宜上作り出した概念であり存在しないのである、無が存在するとすれば無が存在の領域に入ってしまい、0 = 1、2、100、∞となってしまう。
無はありえないのである反対に存在もありえないのである。

輪廻天昇から解脱した世界、それが死後の世界であり釈迦は具体的には述べていない。
感覚的には分かっていたが言葉には言い表せないのである。

xrj********さん

2019/4/1704:11:18

正しい修行をする方法
①正しい本尊を崇拝すること
②正しい真言(マントラ)を唱えること
③正しい手印、手形を結ぶこと
日本に入って来た仏教は中国から渡って来たので
正しい本尊、正しい真言、正しい手印を行う事が
出来なくなってしまいました
本当のお釈迦様の悟りを開くことが出来ないのです
そのことを末法の世と言います
つまり誰も悟れないようになったのです
そこで弥勒菩薩が出現して正しい教えを伝えます
正しい教えとは真の本尊、真の真言、真の手印です
これで多くの人が悟れるようになるのです
今までの宗教では誰も悟れないのでご理解下さい

yos********さん

2019/4/1417:20:19

仏教は釈迦が語った言葉を経典に纏められたものですが、孫悟空の小説「西遊記」によって釈迦が語った仏教から少しかけ離れた、誇張され虚実ないまぜになった仏教が広まったのではないかと思っています。閻魔様も西遊記に出てきますが、仏教には有りません。高天原は日本神話の天上の国、天照大神の支配した国と言われています。天皇は天照大神の子孫と言われているので、天国とは日本のことだということになりませんか。
日本には八百万(やおよろず)の神々が居ると言われていますが、日本の神道には教義がありません。教義がないということは神が人間に対して何も教え導いていないと言うことです。有るのは祭りや結婚式やお祓いなどの儀式だけです。宗教には必ず教義や経典があり、人間に対して何らかの指針を示していることが必要です。教義がなく儀式だけが有るということは宗教ではなく日本の伝統文化だと考えた方が良いのではないかと思っています。宗教ではなく日本の文化であったからこそ、どんな神様も受け入れることができたのではないでしょうか。天照大神の子孫であるといわれている天皇(欽明天皇)が仏教を受け入れていますし。奈良の大仏は聖武天皇によって建立されています。仏教も仏とは悟りを開いた「人」と言う意味なので、人間のことです。仏様も釈迦如来や阿弥陀如来、薬師如来、大日如来など複数の仏様がいます。
仏教は生まれ変わるというのが基本の考え方です。生まれ変わるのですから、天国や地獄が現実とかけ離れた所に在ったのでは辻褄が合いません。天国も地獄も現実の世界で見ることができます。例えば、金持ちの幸せな家庭に生まれる子供と、貧乏で親から虐待されるような家に生まれる子供、この違いが天国と地獄です。他には平和な国に生まれる子供と戦争が絶えないような国に生まれる子供、この違いも天国と地獄です。

wou********さん

2019/4/1413:01:49

仏教でいう神は、イスラム教やキリスト教における神とは、全く違います。一神教における神は、全知全能として人々の前に君臨しますが、仏教の場合は違います。人知の及ばない、自然の働きを神と擬人化したものです。従って、神々の上に、声聞乗の人々や縁覚乗・菩薩乗の人々がおります。神々は、それらの人達より、下に見られているのです。一般の人達よりは尊いけれど、仏教修行者よりは劣っているのが、仏教でいう神々です。従って、仏教での神々は、仏様の前ではひれ伏し、教えを乞う存在です。従って、
>神様と仏様は天国の同じ場所
なのかと問われれば、一般的には違う、という答えになります。唯、日本の大乗仏教、特に鎌倉期以降の仏教では、これよりいっそう深い捉え方をしています。

h0q********さん

2019/4/1400:38:19

一つは「人は死んでも永遠に生きる」という考え方。
もう一つは「人は死んだら無と帰す」という考え方。
仏陀は前者を「常見」、後者を「断見」とし、その両方を批判して、
無我・縁起の立場を「中道」と呼びました。
「毒矢のたとえ」、長尾雅人編集『バラモン教典・原始仏典』
人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。マールンキャプッタよ、人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないという考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。
仏陀は、死後の世界については
人間が知ることのできる範囲外なのだから、
ノーコメントだったのです。
仏陀は、「死んでも魂が生き残る」などという
慰めの言葉も語りません。
こうして、「生まれた者どもは、死を逃れる道がない。老いに達し、
そして死ぬ。実に生ある者どものサダメは、まさにこのとおりである。
・・・だから、人が死んで亡くなったのを見る時、彼はもう
私の力の及ばぬものなのだ、と悟って、嘆き悲しみを捨て去れ。
(スッタニパータ、575〜590)」
というのが仏教の死に関する考えでした。
仏陀の教えは、現実の世界で実証できるものであり、
未来の果報を約束するものではなく、
今ここでその結果が現れるものであり、また、
ここに来て自分の目で確かめよ、と眼前で示すがごとく、
はっきりと知ることのできるものであった、と言うのです。
仏陀は、むしろ、死とは人間の終わりであり、
そういうものだということをよく知って、
生に執着すべきでないことを、教えています。
現実を直視してそこから逃げないことを仏陀は教えます。
これが、仏陀の思想のもっとも基本的な教えの一つである
「無我」の思想です。
仏陀は人間の知識の届かない神秘的な事柄への言及は避けました。
祈祷や呪文や神への捧げ物や宗教儀式や運命判断など、
全く無意味であることを説きました。
神秘的な力によって何事かなそうというような夢事から目覚めて、
何が人間の非苦の要因であるかを究明し、
その要因を取り除く道を見つける人のことを、
目覚めた人(ブッダ)と呼んだのです。

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