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古典に詳しい人に質問です!

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ID非公開さん

2019/4/1722:22:16

古典に詳しい人に質問です!

清少納言は枕草子を執筆する上で女がでしゃばりすぎだというような批判をうけたと聞きましたが、そのようなことは源氏物語を執筆した紫式部にはなかったのでしょうか?

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2019/4/1808:37:25

もちろんあって、『紫式部日記』にうらみがましく(かつ 誇らしげに)書き留めています。当時は漢文は男性の読むもので、漢文の教養のある女性は嫌われ不幸になると言われています。(『大鏡』などにあり)

『紫式部日記』
それら(漢籍)をつれづれせめてあまりぬるとき、一つ二つひきいでて見侍るを、女房あつまりて、「おまへはかくおはすれど、御さいはひはすくなきなり。なでふ女が眞字書は讀む。むかしは經よむをだに人は制しき」と、しりうごちいふを聞き侍るにも、「物忌みける人の、行くすゑいのち長かるめるよしども見えぬためしなり」と、いはまほしく侍れど、思ひくまなきやうなり。
ことはたさもあり。

【解説】
……紫式部が手持ち無沙汰なとき 漢籍を手に取っていると 女房たちが「あれだからご主人様はご不幸なんだわ」と陰口をきいているのが聞こえました。式部は「そんなことあるわけないわ」と反発を感じつつも、自分の人生を思うにつけ「ことはたさもあり(それもそうかもしれない)」などと思ったりもします。
女性の漢才がどんなに嫌われたか、そのことでどんなに肩身の狭い思いをしたかが うかがわれます。
紫式部が惜しみなく学才を披露する清少納言を痛烈に批判し 式部自身は、自分の学識をつつみ隠して、「一」という漢字さえ読めないふりをしていたと書いています。それはそれでイヤミですが 自分の才気を存分に楽しみ披露している清少納言が うらやましかったのではないでしょうか。




『紫式部日記』
左衞門の内侍といふ人侍り。あやしう、すずろによからず思ひけるも、え知り侍らぬ、心うきしりうごとの、おほう聞こえ侍りし。うちのうへの、源氏の物語人に讀ませ給ひつつ聞こしめしけるに、「この人は日本紀をこそ讀み給ふべけれ。まことに才あるべし」と、のたまはせけるを、ふと推しはかりに、「いみじくなむ才ある」と、殿上人などにいひちらして、日本紀の御局とぞつけたりける、いとをかしくぞ侍る。このふる里の女の前にてだにつつみ侍るものを、さる所にて才さかしいで侍らむよ。

【解説】
……つつみ隠していても紫式部の漢籍の教養はよく知られているので、主人の上東門院彰子に『日本紀』を教える家庭教師をつとめていました。また、『源氏物語』を読んだ一条天皇が「この作者は『日本紀』を読んでいるね。たいへんな才女だ」と褒めました。
それを知った、以前から紫式部を目のかたきにしていた左衞門の内侍といふ女が「紫式部ってさ、女のくせに漢籍を読んでるんですって。」と言いふらし、彼女に「日本紀の御局」と悪意あるあだ名をつけました。
こんなことを被害者ぽっく書きながら、もちろん天皇からも褒められたということはどうしても書かずにいられなかったのです。才女もかわいいとこあるんですよ。



あとの人が言う
>清少納言は学者排出の清原一族の娘で、~、一方、紫式部は

はまちがい。「排出」も「輩出」のまちがい。
清少納言の父も祖父も有名な歌人ですし、清原氏は特別に学問の家系ではありません。逆に紫式部の父はすぐれた漢学者で花山院東宮時代の侍講(家庭教師)もつとめています。だから彼女は漢籍に囲まれて育ったのです。

650年

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dok********さん

2019/4/1806:32:19

当時の風潮で古典・漢籍は男の教養となっていました。一方、地位は世襲に近い形で任命していましたから、知識的に残念な男もいます。
そのような状況で、古典・漢文・漢籍の知識がないと理解できないような物を直接的に書いて、人に自慢するかどうかです。

価値観ですが、清少納言は学者排出の清原一族の娘で、それを匂わしつつ、古典・漢籍の色濃い文章を示し、一方、紫式部は一見、柔らかな和文ですがその背景をじっくり味わうのに古典・漢籍の知識がないと無理というものを示します。

表面だけでも知識がいるものと表面だけなら知識はいらないもの、さて、どちらが嫌らしいでしょうか。
当時の価値観からすると、表面だけなら知識はいらないものの方を良しとしたみたいです。
参考に、源氏物語にはそのような紫式部の作風から、文章に隠された古典・漢籍を研究する引き歌研究と云う研究ジャンルがあります。

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adg********さん

2019/4/1800:29:59

清少納言にそのような批判をしているのは紫式部ですよね。

一条天皇に二人の皇后がいて、一人目は、藤原道隆の娘定子。
2人目は、藤原道長の娘彰子です。
道隆と道長の政治権力の争いにより、2人目の彰子が正式の皇后の座を奪いました。

で、1人目の定子につかえていたのが清少納言で、2人目の彰子につかえていたのが紫式部でした。

このような経緯から、定子やそれにつかえる清少納言には、いろいろ辛いことも有ったはずです。
清少納言は枕草子を書くときに、辛かったことは、一切書かず、定子様やそれにつかえる自分たちの素晴らしかったことだけを書きました。
そのため、定子が没落した後も、定子は素晴らしい人だったというのが、定説として残ってしまうことになりました。

紫式部日記で、清少納言が批判されているのは、それに対する恨み言と解されています。

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