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中世の騎士について 騎士というのは ・戦で武勲を立てた兵士が国や領主から叙勲...

hir********さん

2019/4/1802:32:24

中世の騎士について

騎士というのは
・戦で武勲を立てた兵士が国や領主から叙勲されてなるもの
・集団の指揮官
・領地を任されることもある貴族のような扱い
という認識でいいんでしょうか



ということはフィクションでよくでる騎士団というのは騎士の身分を持っているのは団長や幹部のみで他は一兵士ということでいいんでしょうか?

出来れば実際の中世ヨーロッパの軍、武力はどんな感じだったのかも教えてくれると嬉しいです。

言ってることわかりにくくてすみません(泣

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cel********さん

2019/4/1820:04:41

歴史用語としての騎士には、おおざっぱに言って、二通りの意味があります。

辞書・事典類がまとめて引けるサイト、コトバンクから引用します。

~~

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
騎士
きし
knight; Ritter; chevalier
ヨーロッパ中世の武装騎乗戦士。広義には,国王と全封臣団を含み,狭義では下級貴族をさす。
(以下略)

百科事典マイペディアの解説
騎士【きし】
英語でknight,ドイツ語でRitter,フランス語でchevalier。一般に中世ヨーロッパの武士をさす。元来重装騎兵をいったが,封建化の進展に伴い11世紀ごろまでに身分として固定化した。広義には王とその全家臣団を含むが,狭義には王・諸侯を除く家臣をさす。貴族身分,領主階級と重複したが,血統のみならず,武技・礼法等の資質により叙任されてはじめて騎士として認められた。

~~

読んでお分かりの様に、

① 王を含む、馬に乗って戦う戦士全員
② 封建領主層の中の下の方

の二通りの意味があります。

この二つの意味のどっちで使われているかは文脈から判断するしかないのですが、二つの意味がある、って事を意識していない人が本などを読むと、ごちゃ混ぜにしてイメージを形成してしまう事になり、そうした人がネットにはわりと良く見られる様に思います。

で、他の回答者の中にも正しく指摘されている方はいますが、何せヨーロッパ中世と言っても国がたくさんある上に、約千年の話なんで、中世ヨーロッパでは…、みたいな話をするのは不可能に近い、と言っても良いと思います。むしろ、そうした説明を聞いたら、眉に唾をたっぷりつけた方が良いかも知れません。

ここでは、百年戦争の頃のイングランドを主に意識しつつ、中世一般にもある程度当てはまる様に回答します。

>戦で武勲を立てた兵士が国や領主から叙勲されてなるもの

叙勲ってところが引っ掛からないでもないですが、騎士への叙任と言う意味なら、上記の①の意味です。そして、一般兵士が手柄を挙げたから騎士に叙任される、と言うよりも、騎士見習が一人前の騎士になった事を認める『騎士としての成人式』みたいなもの、と思った方が良いです。

馬を飼い、武芸の鍛錬をする、って言うのはかなり経済的に余裕がないと出来ません。畑を一生懸命耕して年貢を納めている農民には難しい事です。だから、社会階層が上でないと、①の意味の騎士には中々なれない、そう言う傾向は元々ありました。だから、騎馬で戦う者と、補助兵力として歩きで戦う者には、社会階層の違いがどうしても反映されます。

だから、王以下の領主層が①の意味の騎士になる、そうではない一般人は補助兵力になる、って事になります。そうした領主層の中での若者が一人前の戦闘員になった、それを儀式でハッキリさせるのが騎士叙任、って感じです。騎士に叙任されるキッカケとして、何らかの戦功は考えられますが、戦功を挙げたから、歩兵として参加していた兵士が騎士になる、と言うのではありません。騎士見習いになりうる階層出身の若者の成人式、って感じです。(もちろん、歴史上誰一人としてもなっていない、って意味じゃなく一般論として、です)

>集団の指揮官

どの程度の集団であるかにもよりますが、①の意味の騎士の中でも、大領主、例えば王の近親者から指揮官が選らばれる、って事は言えます。

>領地を任されることもある貴族のような扱い

元々経済的余裕がないと①の意味での騎士になれないし、それが次第に社会階級として固定的になり、騎士の息子以外は騎士になるのは許さん、って感じになり、それを強く意識した階層が②の意味の騎士になって行きました。ですから、①の意味の騎士は、せめて②の意味の騎士(領主層の一番下)でないとなれない、とも言えるでしょう。

>フィクションでよくでる騎士団というのは騎士の身分を持っているのは団長や幹部のみで他は一兵士ということ

その手の本は久しく読んでいないので、騎士団の意味が良くわからないのですが、歴史の本で出てくる騎士団とは、例えば…

~~

百科事典マイペディアの解説
ヨハネ騎士団【ヨハネきしだん】
中世の騎士修道会の一つ。正称は〈エルサレム・聖ヨハネ救護騎士修道会〉,ラテン語でOrdo Equitum Sancti Johannis。南仏出身の修道士ジェラールが11世紀末に創設,1113年教皇認可。テンプル騎士団とともに十字軍の主力となる一方,各地に病院を設立した。エルサレム陥落(1291年)後,本拠をキプロス島,さらにロードス島に移したが,イスラム勢に押され,1530年以降はマルタ島に拠ってマルタ騎士団と称した。

~~

みたいな宗教的な動機から出来た親睦団体が、集団的な国家組織になったものが多いです。その一方、ガーター騎士団の様な『勲章』の様なものもあります。

ヨハネ騎士団がマルタ島を占拠したら、当然ながら、共同して戦います。テンプル騎士団の様に十字軍の主流になったら、その時もそうですね。

が、一般論で言えば、騎士団みたいな組織ではなく、騎士になりうる階層=領地を持てる階層から構成される部隊(基本的に構成員は騎士、あるいはその見習い)があって、その指揮官はその中でも上位者、つまり、だいたい騎士ばかりの中のトップが指揮官、それとは別に、より下の社会階層からの補助兵力としての部隊(それも騎士の指揮官の指揮下に入る)、って感じに考えた方が良い、と思います。とにかく、経済的余裕がないと騎士にはなれないので…

なお、勝ち負けを決めるのは騎士同士の戦い、が基本ではあっても、百年戦争では、ウェールズ人の弓兵が、射程の長い矢でイングランド軍の勝利に大いに貢献しました。が、そうした戦功を挙げても、基本的概念としては、騎士は騎士、補助兵力である歩兵は歩兵、です。(もちろん、誰も絶対になれない、じゃないですけどね)

とにかく騎士は現実問題として経済的余裕がないとなれない、そこがキモかも知れません。そうした背景が、封建領主最下層と言う意味の騎士になって行きます。『俺たちは、一般人とは血筋からして違うのだ』って意識ですね。

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met********さん

2019/4/1817:48:40

ヨーロッパの騎士は貴族と平民の間、貴族ではありませんが平民の最上層です。
中世ヨーロッパで馬を持つというのは大層贅沢なことだったようです。
基本的には貴族に召し抱えられて騎士身分を与えられたものが騎士です。ただし、時代や地域によってさまざまなバリエーションがありました。

ヨーロッパ古代の戦争は歩兵中心でしたが、中世は騎馬武者同士の戦いです。
現代でいうと戦車の軍団同士の戦いと言った感じでしょうか。

騎士が戦車の車長兼操縦手、従者が整備兵や砲撃手・装填手に当たります。

戦う騎士の姿は華々しいものであったために、後には貴族や王までが自分達も騎士であると自称するようになります。話をややこしくするばかりですね。

中世の終わりごろになると歩兵の傭兵が活躍するようになり、騎士は時代遅れになりました。

騎士団は神に身を捧げる、日本で言うと僧兵のような騎士です。
貴族身分を持つ修道院長を騎士団長として結束して仕えていました。

zeu********さん

2019/4/1810:54:29

中世ヨーロッパは封建時代です。

日本の鎌倉時代とよく似たしくみになっています。
源頼朝は将軍となって、武士たちに軍を動員させて自分に忠誠を誓わせます。
その見返りに配下の武士たちの所領を保障し、手柄を立てれば所領を与えます。

こうした土地(所領)を仲立ちにしたギブ&テイクのしくみを封建制度といいます。

日本の将軍にあたるのが西欧では国王です。
騎士たちは所領を持っている領主です。
騎士は自分たちの所領を保障してもらうため国王に軍役と忠誠を尽くすことを約束します。

日本では契約できるのはひとりだけでしたが、西欧にはその限定がありません。

自分の所領を守るため、たとえばフランス国王とイングランド国王の両方と主従関係を結ぶ騎士もいました。

騎士は日本で言う武士の棟梁と同じです。
一族・郎党や下人を従えて、戦場に馳せ参じます。

ただ、中世西欧に得意な騎士の集団=騎士団があります。
十字軍時代に結成された宗教騎士団です。

エルサレムなどの聖地へ行く巡礼者を異教徒(イスラム教)から守り、保護する役割にカトリック教会後ろ盾となって結成した軍団です。

カトリック教会が費用を捻出していたので当初、宗教騎士団は裕福でしたが、カトリック教会の権威が弱まると宗教騎士団も自立しないといけなくなりました。

マルタ島を所領とするマルタ騎士団(聖ヨハネ騎士団)、バルト海沿岸を開拓し所領としたドイツ騎士団などです。

彼らは単なる封建領主としてはじまった騎士たちではないため、棟梁である騎士団長は騎士たちの選挙などで決めました。
(やがて騎士団長は世襲されていくようになりますが・・・)


騎士≒日本の鎌倉武士と考えていいです。
日本でも武士は騎馬武者を指し、一騎打ちで戦いました。
平時は領主であり、武芸に勤しんでいました。

いざ、鎌倉という時には出陣し、将軍(幕府)の命令の元戦場へ行って戦いました。
中世の軍というのは、武士という領主の集まりを国王や将軍が指揮して戦うというものです。

騎士や中世武士の軍は将軍や国王の直属軍ではないので、ギブ&テイクが適当ですと瓦解します。
元寇の時、褒美がキチンとしていなかったために御家人たちは鎌倉幕府を見限りましたよね。あれと同じです。



>中世ヨーロッパの軍、武力はどんな感じだったのかも教えてくれると嬉しいです。

百年戦争を例に取ると

フランス・ヴァロワ朝の王に従う複数の騎士(領主)たちの集団=フランス軍。
イングランド王に従う複数の騎士(領主)たちの集団=イングランド軍。

軍の構成は、騎兵=騎士が正規軍。
騎士はアーマーに身を包み、長い槍を持って騎馬突進します。
ドン・キホーテを思い出すとわかりやすいです。

下人=農民兵は物資運搬と弓兵隊。
槍や刀剣で戦う白兵戦には不向きで、もっぱら飛び道具の弓を使います。
(鉄砲が出れば鉄砲)


最初に農民兵たちの弓で戦いがはじまります。
水平に矢は放たず、放物線を描くように矢を放ちます。

やがて農民兵の白兵戦もどきがはじまりますが、日本の足軽と同様に真剣には戦いません。

こうして戦闘のなれあいがはじまり、最終的には騎士たちが突っ込んで戦局が決します。
百年戦争ではこうした決まりきった戦闘をイングランド側は行わず、農民兵の武器である弓を多用してフランス軍を圧倒しました。
(クレシーの戦い、アザンクールの戦い)

騎士はアーマーで身を包んでいるので矢では射殺されませんが、矢の雨で混乱したところを物干しざおのような長い棒で馬かせ落とされますと、アーマーの重みで起き上がることができません。

多くのフランス騎士は領主層ですから、イングランドの人質となり、法外な身代金を手に入れられるため農民兵は必死になったといいます。

dad********さん

編集あり2019/4/1807:40:46

騎士は王様の直接の配下になります。
王様直属の兵士もいます。
領地や給金は王様から与えられます。
王様の貢献度や忠誠心が高くないと騎士になれません。
日本で言えば、旗本や御家人になります。
ただ、旗本退屈男の様に、政治に口を出すタイプは、大臣たちに嫌われるんです。
王様の直属の兵士だから、文句が言いにくいからです。

貴族は自分の領地を持っていて、自分の部下が存在します。
王様に従うのは、一応臣下なんですが、代表だからです。
王様の力が弱くなれば、貴族が王様になろうとする可能性はあるんです。
日本で言えば大名です。

ですから、日本では裏切りや叛乱を防ぐために、大名に参勤交代をさせ、お金を使わせる事で、軍事資金を集め難くしていたんですね。

あと大名の奥さんと長男は江戸城、もしくはその近くの屋敷に住まわせていました。
実質の人質です。
このくらい裏切りや叛乱を恐れていたんですよ。

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