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ベルリン攻防戦の時ゲシュタポ本部が陥落したのはいつですか?

hir********さん

2019/4/1817:40:04

ベルリン攻防戦の時ゲシュタポ本部が陥落したのはいつですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

iki********さん

2019/4/2118:17:13

>ベルリン攻防戦の時ゲシュタポ本部が陥落したのはいつですか?

ゲシュタポ本部をPrints Albrecht 街のビルと前提して考えます。

理由は一般的に「ゲシュタポ」Geheime Staatspolizei(ベルリン陥落当時の秘密国家警察)とは呼ばれているものの、実際の公務はゲシュタポとSD=Sicherheitsdienst(ナチス親衛隊情報部)と重なる部分もあったため、世間的にゲシュタポとSDが混同されていると思われる面が多くあるからです。

ご存じとは思いますが、ベルリン攻防戦のソ連側の記録から1945年4月29日(日曜日)には一旦はソビエト軍がゲシュタポ本部周辺を占領したもののSSの猛反撃に遭い手放さざるを得なくなりますよね。

その後の戦闘記録では翌日1945年4月30日(月曜日)の時点でゲシュタポ本部があるビルの完全制圧には至らぬものの、ソビエト軍は前進し拠点を確保していきます。

その後のゲシュタポ本部および本部ビルの完全制圧に関する記録が見当たらないため、おそらくは経過的に準陥落カ所と数えられる複数の拠点と同様の扱いではないかと想像されます。

この辺に冷戦時代中のソビエト政府がこだわっているのならば映画「ヨーロッパの開放」第4部「ベルリン大攻防戦」で詳細が描かれた可能性もありますが、その再現もないため詳細が分かりません。

一旦は陥落という観点からならば4月29日(日曜日)。

完全な陥落あるいは完全な制圧は4月30日(月曜日)当日を含む以降。

後者の場合の正確な日時は不明です。

そこがご質問の主眼とは思いますが、私も興味あるご質問でしたので回答しました。

さして記載や記録が無いという見地から、1945年4月29日(日曜日)から1945年5月2日(水曜日)までのどこか。

個人的な意見として、1945年4月30日(月曜日)かと思います。

理由は立て籠もりつつも実質周辺と援軍が望めない状態での孤立状態だったため、この時点で実質的な陥落だと思います。

1945年4月29日(日曜日)は一旦はソビエト軍が周辺地域を確保したものの、撤退しています。

この時点でソビエト軍は重火器の到着がまだで、小火器類のみでの拠点確保を人的損失が大きいと判断したのは素人でも考えられます。

敢えて強引に確保しなかったところに、攻め込むソビエト軍の時間的な余裕と時間さえあればさらなる増援を確実に期待できる状況が伺えます。

強引な言い方かもしれませんが4月29日(日曜日)時点では主なる目標はあくまで帝国議会議事堂だったはずなので、その他の拠点は監視しつつも半ば放置。

本丸さえ落とせばあとはどうでもよいこと、、と解釈されたフシを感じます。

もしも最初に攻め込んだのがソビエト軍ではなく、自由フランス軍や自由ポーランド軍を含む米英主軸の連合軍だったら、、

個人的迫害やユダヤ人迫害の怨念がある一部の部隊が執拗に攻め続けた可能性が浮かんできます。

興味深いご質問でした。

ベストアンサー以外の回答

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kyo********さん

2019/4/1912:35:31

1945年4月29日(日)ペレヴェルト少将指揮の第79ライフル軍団がモルトケ橋を占領確保してから内務省を占領、翌日30日(月)に国会議事堂を攻撃し占領。この日、ヒトラーとエヴァ・ブラウンが総統官邸地下防空壕で自決します。

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