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日本書紀は孝徳天皇の即位前の名を「軽皇子」としていますが、孝徳は敏達天皇の曾...

hotcharetさん

2019/4/1910:49:53

日本書紀は孝徳天皇の即位前の名を「軽皇子」としていますが、孝徳は敏達天皇の曾孫であって、祖父も父も天皇ではありません。皇子は天皇の子以外にも使われるのでしょうか?

また、日本書紀では、どの範囲を皇子としているのでしょうか?
詳しい方教えてください。

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kaw********さん

2019/4/1913:26:57

姉の斉明天皇は皇后から天皇となり、宝皇女です

天皇の兄弟姉妹も皇子となります。斉明天皇の前夫との息子も漢皇子、です。天智天皇の兄でもあります。

これら、にしたがい軽皇子となるのです。

叔父で義兄の舒明天皇も皇太子の息子で王のはずですか、やはり田村皇子です。

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pin********さん

2019/4/2007:34:19

「日本書紀」が「天皇の子でもないのに皇子」にしている所は、全て編者による系譜と事績の造作です。
普通に考えて「皇子」は「天皇の子」です。
「軽皇子」と言う人物は、もう一人「文武天皇」がいます。
最近は、「乙巳の変、大化の改新」が危ないと言われています、どうも「文武(軽皇子)」時代の政治的な出来事を、645年前後に反映させているようです

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2019/4/1916:27:33

していません!
書記の事実とは認めないです。

天皇という皇位は、主に天武天皇の後に、平城京から確立されたものです。

その以前の貴族や渡来者は、源氏物語や万葉集によって、天皇と仕分けされただけです

軽や有馬にしても生きていても天皇には程遠い、王子ですね。

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cor********さん

2019/4/1911:55:06

軽皇子は皇極天皇の同母弟で、皇位継承権を持っていたため、皇子と呼ばれていたと考えられます。
本来は欽明天皇の玄孫ですが、姉が欽明曽孫の舒明の配偶者になったことにより、支配者層の間では1世代上の欽明曽孫と目されていました。
父茅渟王が営んだ河内・和泉地方の勢力を継承し、阿倍、蘇我倉、巨勢、大伴の諸氏をはじめ広汎な支持勢力を擁していました。
舒明天皇が亡くなり、皇極天皇が即位したとき、皇位継承候補者は欽明曽孫の世代になります。
厩戸皇子の子供の①山背大兄王、②軽皇子、舒明の皇子の③古人大兄皇子と、舒明と皇極の子供の④中大兄皇子の4人ですが、④中大兄皇子はまだ若く予備軍でした。
①山背大兄王は③古人大兄皇子を推す蘇我氏によって殺され、③古人大兄皇子は乙巳の変で殺されかけましたが、出家することで命拾いしました。

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mar********さん

2019/4/1911:03:03

そもそも「みこ」は高貴な生まれの人を指す一般名詞です。「皇子」も皇族であればだれにでも使えます。

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