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歎異抄3章で問題提起するならどのように書きますか?

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ID非公開さん

2019/4/1915:48:42

歎異抄3章で問題提起するならどのように書きますか?

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you********さん

2019/4/2222:13:42

歎異抄第三章の
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」=
=「善人でさえ助かるのだ、悪人はなおさら助かる」
=別の言葉で「悪人正機」ともいわれる。

「正機」とは、「人間のうそ偽りのない本当のすがた(相)」ということ。

「悪人正機」=「人間は地獄行きの悪を造らずしては絶対生きていけぬ者」

語句の説明だけではまったく意味をなさぬ「大変な言葉」なのだ。

地獄行きならどうしよう!と驚く者がいない。ということは全く分かっ
ていないということ。

世間中が「人間には善人と悪人がいる」と思っている。
世間で言う「善人と悪人」が存在するのなら釈尊が「譬喩経」にこんな
譬えをおっしゃるはずがなかろう。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q141789752...


『悪人正機』は親鸞聖人の教えを漢字四字で表わした言葉であり、
これ以外に聖人の教えは無い。だが、意味は大きく捻じ曲げられている。

「地獄しか行き場のない悪人」を救うと誓われたのが阿弥陀仏であり、
「十方衆生」は地獄しか行き場がない極悪人なのである。

その悪人を目当てに弥陀が本願(悪人を助ける誓い)を建てられたのだ。
だから悪人がお目当て(正機)なのだ。
『悪人正機』とは「阿弥陀仏の本願」のことになるのだ。

「阿弥陀仏の救おうとなされている相手」は「悪人」である。
相対悪ではない。世間中が相対悪だと思っている。
まったく違う。絶対悪なのだ。

では、
全人類とはどんなものか、について親鸞聖人は教行信証に次のように
仰っている。
「一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時にいたるまで、穢悪
汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し」
【意訳】
古今東西全人類は心も口も身も地獄行きの行ないしかやっておらず
無始より未来永遠絶対助かる縁なき者である。この中に入らぬ人間は
いないのである。

阿弥陀仏はそんな極悪人を救うと約束しておられるのだ、ということ。

それを端的に文章にされているものが
歎異抄第三章の以下の言葉である。
「善人なおもって往生を遂ぐいわんや悪人をや」

親鸞聖人は我々人間のことを以下のように仰っている。
『凡夫というは無明・煩悩われらが身にみちみちて欲も多く
怒り腹立ちそねみねたむ多く、間なくして臨終一念に至るまで
止まらず消えず絶えず』(一念多念証文)と仰って、

〇煩悩具足の凡夫…煩悩に目鼻つけたようなもの。
〇煩悩成就の凡夫…煩悩で出来上がっているもの。
〇煩悩熾盛の衆生…煩悩が燃え盛っているもの。

十方衆生は例外なく百パーセント煩悩からできていると仰っている。
深い人浅い人はいないのです。
「炭」で言えば、中の中まで真っ黒け。

阿弥陀仏の御眼からご覧になれば我々人間は「地獄行きのもの」。
それを「私はそんな極悪人では無かろう」
「人に親切しているし、念仏も称えているし、親孝行もしている。
地獄は堕ちんじゃろう」と、たか、くくっているのです。

ただしここで注意しておかねばならぬのは「我々は悪人ならどんな悪い
ことしても阿弥陀さまは助けて下さるのだから悪いことをしてもよい」
などと思うととんでもない仏教に対する冒とくだ。

釈尊は仰る。
善いことすればよい結果は必ずかえってくる。
悪い種を蒔けば悪い報いを受ける。
自分の蒔いた因は自分にかえってくる。人の蒔いた因が自分にかえって
くることも無い、自分のやった行為が人に結果が行くことも絶対にない。
因果の道理に狂いはない。と教えられる。




では「善人」はどんな人ですか?

『善人なおもって往生を遂ぐいわんや悪人をや』


弥陀の御眼からご覧になれば、本当は極悪人なのだが
「私はそんな悪人では無かろう」と自惚れている「善人」である。

ではどんな者を目当てに救うと弥陀は誓われているのか。
聖人は歎異抄に
「いずれの行も及び難き身なればとても地獄は一定すみかぞかし」
と仰っている。
「私は、金輪際、永遠に助からぬ人間であった」と弥陀の願力に
照らしぬかれた時、
「そのまま救うぞ!」の弥陀の本願に救い摂られた時は同時なのです。

「地獄一定の私」が一念の瞬間に「極楽一定」に転ずる世界です。
弥陀に救われた人は常に「地獄一定」と「極楽一定」が同時に
ハッキリ存在するのだ。常人に分かる世界ではない。

一片の知識では分からないし、命がけの聞法なくして知りえぬ自己の
相だからである。

仏説譬喩経にある通り後生は一大事である。その一大事の解決には

親鸞聖人、真剣な聞法を勧めていられる。

たとい大千世界にみてらん火をも過ぎゆきて
仏の御名をきく人は永く不退にかなうなり(親鸞聖人:和讃)

これが分かっていないから陳腐な解説書ばかりだ。

これが分らないから浄土真宗が廃れていくのです。


世に「歎異抄解説書」はたくさんあれど歎異抄の「善人」「悪人」を
この世の「善人」「悪人」だと皆思っている。

歎異抄は親鸞聖人の主著『教行信証』が根拠なのです。
『教行信証』を理解せずして歎異抄は読めない。


自分でまとめて下さい。まとめても教授(先生)?は理解不能でしょうね。

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