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何故日本は不平等条約を改正することができたのでしょうか?

hth********さん

2019/4/2223:19:58

何故日本は不平等条約を改正することができたのでしょうか?

学校で学習したのですが
イギリスと何か関係があるそうです。
しかしイマイチなぜ改正できたのかよく分かりません。
回答お待ちしていますねm(__)m

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ベストアンサーに選ばれた回答

tam********さん

2019/4/2300:47:34

不平等条約を結ばされたのは日本と列強に圧倒的な力の差があったからです。アヘン戦争後の南京条約₍1842年₎以降、欧米列強とアジア諸国との条約は不平等条約₍関税自主権、治外法権、租借権など₎を一方的に飲ませる形で締結されていました。日本も日米和親条約₍1854年₎や日米修好通商条約₍1858年₎で幕府は圧力に屈する形でこれら条約を結びました。

条約改正は明治維新後の岩倉使節団₍1871年₎で外交交渉によって解決すべく交渉を開始しましたが、アメリカが改正に応じる条件は全ての列強が条約改正に応じたならばというもので、事実上無視された形です。その後、日本は交渉を継続して、西洋並みの法律や制度を整える事で改正を目指しましたが、これも国内の反対でとん挫します。日本が政治経済ともに力が無かった時代の話で、特に当時の世界最強国イギリスが強硬に反対して条約改正はなかなか進みませんでした。

しかし、日本が明治維新で成長をはじめ、同時にロシアが極東への進出₍シベリア鉄道建設開始、1891年など₎を進めると、イギリスが警戒を強めて日本と近づくことになります。条約改正の動きが出るのは日清戦争₍1894-5年₎の勝利後、日本が近代国家として認められた辺りからです。イギリスが極東の対ロシア戦略で治外法権を返上したのをきっかけに、治外法権の返上が達成されます₍1994-7年₎。名目は法整備が整ったとしていますが、明らかに日清戦争の勝利が影響しています。

治外法権よりも実利が大きい関税自主権はそれより遅く1911年に回復しています。これも、明らかに日露戦争₍1904-5年₎での勝利が影響しており、列強の仲間入りをして、日英同盟など列強の対等なパートナーとしてして認められたのが大きいです。結局、国際法に則り外交交渉で正面から交渉を続け、無視できない力を2回の戦争で見せつけたからこそ条約改正が成立しました。帝国主義時代とはそういう時代で、力があって初めて交渉ができる時代だったからです。

質問した人からのコメント

2019/4/23 01:05:01

早い回答有難いです。
こんなに細かく本当に助かりました!!
ありがとうございました!

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