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陸軍海軍大学校は今の大学のレベルに当てはめると東大くらい全体の学力高いですか?...

tud********さん

2019/4/2822:48:42

陸軍海軍大学校は今の大学のレベルに当てはめると東大くらい全体の学力高いですか?陸軍士官学校は当時では短期大学に相当してたようですが、相当レベル高かったようです(数学物理地学国際語も履修してました)当時

の主要大学と比べてどのくらいの難易度だったのか知りたいです

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ベストアンサーに選ばれた回答

ポアロさん

2019/4/2823:56:05

陸軍士官学校、海軍幼年学校はその出生地で神童と言われるような俊才が入ります。そこはとてもじゃないが無理だという人に東大とか一ツ橋があるのです。

陸海の学校を出ると少尉から軍隊に任官できます。いきなり将校・士官なわけですが、その中でも現場で「こいつはみどころがある」とされ、部隊長から推薦がもらえた者のみが陸軍大学・海軍大学の受講資格が得られるのです。

こうして大学を出て成績優秀と認められれば、はれて参謀本部や軍令部所属の軍人官僚になれます。
あとはもう、誰の言う事も聞く必要がありません。

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ベストアンサー以外の回答

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lok********さん

2019/5/400:49:57

大学と大学校の区別が付いていないようですね。
戦前は、小学校より上の学校は、義務教育では無い。
授業料が無料なのは、師範学校と陸軍幼年学校だけ。
幼年学校の方が難しいのでほとんど優秀な学生は、
村なので奨学金を受けて、高等小学校を出て、師範学校に進むのが普通のコース。
陸大も海大も士官学校を卒業した士官が勤務後に部隊で推薦されていく研修機関です。
いまだと、税務大学校や気象大学校と同じ扱いの物です。

link_unsafeさん

2019/5/400:26:40

出身者自身の能力による後年の大成ということは
あり得ますけどね。
軍の部内教育を大学と比べる意味は無いと考えられます。

「軍隊エリートは文武両道を極めたスゴイ超人」
という迷信はもう廃れていいのではないでしょうか。

陸大38期(大正15卒)藤村中将の回想
二次審査の日、門前で欠礼をとがめられ
しつこくいびられた相手が試験官 審査不合格
翌年も二次審査不合格
在校の先輩から情報「その教官が零点をつける」
やる気を失い勉強もしていなかったが
上官の強い奨めで受けるだけのつもりのところ合格
欠礼試験官が異動で去ったため。
上官の御懇情を思い唯々感泣・・・
(「変転せる我が人生」藤村謙・著 日本文化連合会による)

陸大受験の要点はコネと情実と"風向き"です。

>数学物理地学国際語も履修してました

課目が用意されていることは、必ずしも
履修者が素晴らしい成績を修めることを意味しません。
「陸軍大学校」上法快男・編 芙蓉書房によると
陸大の戦史の時間は居眠りタイムだったとか。
大東亜戦争期の兵力大増員は将校・高級将校の増員所望も生み
陸大でも粗製乱造気味に履修期間を減らし養成数を増やしています。
軍隊教育では受け容れた将校諸士を立派に修了・・
させないわけにもいかないので下駄も履かせるのです。

周知のとおり陸大受験には上長の推薦が必須でした。
しかし、戦地でも内地でも人手不足で戦況の苦しいとき
真に優秀な将校を、雲の上の参謀要員にしてあげるために
部隊長がわざわざ推薦して手放すものでしょうか。
選抜には将校団における人事力学が影響したと考えられます。

「サムライ戦車隊長」島田中佐は任官時に
原隊の都合により無断で転科・転任させられ、
戦車隊側からは自己の人事運動を疑われています。

kfj********さん

2019/5/309:30:04

医学部教授の例を挙げると
一人は海軍士官学校に入学(当時最難関と言ってました)、終戦となり東大医学部に行くつもりだったが勉強の空白期間が長く阪大医学部に入学
とても優秀な方でした
もう一人は阪大の教授ですが身体検査で海軍士官学校を不合格
レベルは東大以上の時期があったようです
最優秀の人材が戦争で散ってます。
陸士や海士に行けなかった人たちが戦後の日本を支えたと言えますね。

cae********さん

2019/5/216:19:39

陸軍大学は士官学校を卒業して部隊勤務をしている士官が部隊長の推薦を受けて試験が受けられる陸軍の最高の教育機関で、現在の自衛隊の幕僚養成機関に当たります。

2019/5/100:21:54

陸軍士官学校・海軍兵学校は旧制中学校を卒業もしくは4年修了した者が受験しました。現代で言うなら高校2年、高校1年修了者。
ただ、中学校は今の中等教育学校・中高一貫校と同じで、選別された生徒に注力した教育をしていたのでここで現代の教育制度と比べるのは多少の無理があります。

これらの軍学校は旧制専門学校と同じくくりの選抜制度でした。
武官としての官吏採用選抜試験でした。
軍の人気があるときは難しかったし、戦間期には陸海軍経理学校のほうが難易度は高かったとされます。


官立高等学校は旧制大学(帝国大学)と合わせて一つの制度と看過されていました。
2千人程度の選良に対して、最高学府(大学)の教育を与え国家の資とする事を目的で作られた制度です。
よって、制度設立当初は帝大学士は当然無試験で高等官に任官できる制度がありました。

高等文官試験は終戦直後まで存在した制度ですが、受験資格は旧制大学卒業者(学士相当)で合格者は高等官に任官する資格を得ました。

武官では、陸軍士官学校、海軍兵学校、陸軍経理学校、海軍機関学校、海軍経理学校などを卒業したのち、2年程度の実務経験を経てからの任官となりましたので、
管理としての扱いも学士と同じには認められていません。


よって、先大戦期、
一旦徴兵猶予された人の中で大学卒、入省、任官、徴兵、入隊で、
官吏として官位を持ちながら二等兵なんて人ができました。

陸軍の大演習で天皇やその名代が観閲するときには、官位・階級順に並びましたので中隊長の横になるように、無位の士官・下士官・兵隊の列線より一歩前進する場所があてがわれました。


なお、陸軍大学、海軍大学は教育機関ではなくて、参謀将校養成の研修施設でした。
自衛隊で言うなら、陸上自衛隊指揮幕僚課程や海上・航空自衛隊の幹部学校がそれにあたり、

警察大学校・消防大学校とおなじ類で世間の学校制度下での難易度には当てはまりません。

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