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天智天皇の死後,壬申の乱がおきましたが,その時って皇位は空位だったと考えるの...

bdb********さん

2019/5/109:05:19

天智天皇の死後,壬申の乱がおきましたが,その時って皇位は空位だったと考えるのでしょうか?それとも大友皇子が即位していたと考えるのでしょうか?

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ejn********さん

2019/5/109:19:19

大友皇子が即位していたに1票。

ただそれだと大海皇子が謀叛をしたことになってしまうので、「日本書紀」には便宜的にまだ大友皇子が即位していなかったことにしていた。

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ベストアンサー以外の回答

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cor********さん

2019/5/422:56:10

日本書紀には大友皇子が立太子したとも即位したとも書かれていません。壬申の乱の際に、皇子のままで首をくくって死んだと書かれています。
明治政府は、天皇は万世一系で途切れることなく続いていたという見方(史観)でしたので、空位の期間があると困るため、平安時代以降のいくつかの史料に皇子の即位を記していることを根拠に、大友皇子が即位して天皇(弘文天皇)になっていたことを公式見解としました。
根拠とする平安時代以降の史料の信憑性に疑問もあり、個人的には空位のほうが史実だと思います。

hot********さん

2019/5/421:41:54

新天皇を第126代天皇とする場合には、大友皇子が39代の弘文天皇として即位した、ということになります。

弘文天皇即位説は、明治維新で王政復古を果たした明治政府が明治3年に決めたものです。
ただ、それを証明するなんらかの根拠があるわけではありません。通常この時代の天皇の歴史の基礎資料となる「日本書紀」は「即位しなかった」と読める記述になっているので、それを否定するのもなかなか難しいのでしょう。今の高校の教科書を見ても、大友皇子とだけあって弘文天皇という記述はありません。

日本書紀の思惑はともかく、実態を推測してみると、父帝の崩御後に践祚にあたることはあったとしても、乱が起こって、即位礼にあたるような実質的周知には至らなかった、という事態が考えられます。
法律で決定した現代の即位でさえも、専門識者からは、各セレモニーのタイムラグで即位時点をどうみるか異なる見解があるようですし、他の古代天皇即位を見ても、即位の定義は必ずしも一律ではないようです。

議論しても埒があかない話ですが、いずれにしても、今上天皇は何代目の天皇か、という話と連動して決まることでしょう。

tun********さん

2019/5/110:32:56

どのように「考える」かはほかの方が書いているように、大海人天武を正統と認めるか反乱成功とするかで分かれるでしょう。でも、立派に成人している男子がいるのに空位は考えにくいです。公には明治3年に即位が認められています。

yh9********さん

2019/5/109:33:40

壬申の乱の間の皇位については江戸時代ごろから論争になっています。
壬申の乱の直前、大海人皇子が隠退している間には大友皇子が執政しているため、この期間大友皇子は即位して「天皇」として執政したのか、それとも太政大臣・皇子の身分のまま称政として執政したのかは意見が割れています。
なので、研究者によって弘文天皇在位と言う人もいれば大友皇子称政(つまり空位)と言う人もいます。決まってはいません。
大海人皇子が即位して初めて、三種の神器や現人神思想などその後の「天皇制度」が整えられていくので、なんとも言えません。

tam********さん

2019/5/109:23:46

壬申の乱は皇室内の内紛ですから公に出来ないことが
たくさんあるので大海人皇子の反乱とは言えません。
だから皇位は空位とされています。

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