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歴史上最高齢で即位したとされる光仁天皇は皇太子からの即位でなく後継者不足でタ...

t04********さん

2019/5/611:18:56

歴史上最高齢で即位したとされる光仁天皇は皇太子からの即位でなく後継者不足でタナボタ式に帝位が回ってきたようですが、その時の裏話というかエピソードは残されていますか?当時でも仰天人事

で本人や家族も突然皇族になってたまげたとか反対する臣下が多くやりにくかったとか当時としては高齢ですでにボケ老人で何もできなかったとか?

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ban********さん

編集あり2019/5/612:19:37

一言で言うと、藤原氏が天武王朝を見限った結果が、白壁王(光仁天皇)擁立です。
藤原氏は、自分のたちの血筋の娘が産んだ者を立て続けることで権力を保持してきました。ところが、タマ不足で仕方なく皇位につけた光明皇后の娘(阿倍内親王、孝謙・称徳天皇)が、生涯独身で潔癖症の理想主義者で、実家の藤原氏の汚いやり口に次第に反発するようになり、アンコントロール状態になり、しまいには藤原氏と関係ない徳の高い人物に皇位を譲ってしまおう、という暴挙(?)に出ます。
これに懲りた藤原一族は、面倒くさい天武天皇の子孫たちを全部見限って、完全に自分たちが自由に操れる、普通は皇位から一番遠い人物を連れてきて恩を着せた、これが光仁天皇です。
と、単純に書きましたけど、この頃になれば藤原氏といっても一枚岩では全くない、むしろ内部の分家どうし、いや兄弟の間でさえも、熾烈な闘争が始まっています。そういう権力抗争のアオリで、瓢箪から駒が出た、という言い方もできます。
光仁自体は高齢で無能でも、その息子に山部王(桓武天皇)という傑物(怪物?)がいたというのも大きな要素ですが、これ話してると長くなりすぎるので、またいずれ。

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pin********さん

2019/5/612:46:59

「壬申の乱」で、「天武(倭国系)」に謀叛を起こし「天智―大友」で断絶していた皇統が、「奈良朝政治の暗闘」と「聖武に男子の後継者がいなくて称徳の代で断絶した時」に、「聖武の娘井上内親王の婿養子」のような存在であったが「天智の孫」と言うだけで、「吉備真備」等の反対を押し切って「白羽の矢が立ったようです」。
「倭国系」の断絶直後で、残党勢力もある中、藤原永手、百川、良継に祭り上げられた存在ですが、息子(桓武)をしっかり皇太子にしていますので、まだ呆けてはいなかったようです。

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