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日蓮仏法の教えの「継承」について質問です。 私は日蓮正宗の信徒です。 一般世...

mas********さん

2019/5/1821:03:33

日蓮仏法の教えの「継承」について質問です。
私は日蓮正宗の信徒です。
一般世間でも常識ですが「継承」に対する対処は行っています。

日蓮大聖人様も伝承システム等の重要性を認識され「継承」に関する事について何らかの対処をされたと考えられます。

日蓮正宗の主張は「二箇相承書」により継承者は日興上人であると主張しています。
「二箇相承書」の本物・偽物の賛否は色々ありますが日蓮正宗では一応「一般世間で言う継承者認定の遺言書」にあたると考え継承権は日興上人にあると主張します。

大聖人様の時代に日興上人を含む6人の直弟子が居ました。

そこで質問です。

「二箇相承書」以外に継承者代表者は6人の直弟子のうち???上人であると証明する何かがありますか?
また、色々な文献等により当時の状況を推測し???上人に継承されたとの推論がありますか?

・日蓮正宗以外の日蓮宗の信仰者の立場
・信仰者以外の第三者の立場
Q1:ご意見をお聞きしたいです。

Q2:第三者の立場で科学的な絶対的証明による物や証拠があれば教えて下さい。

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tou********さん

2019/5/2101:27:02

「二箇相承書」に御真蹟が存在しない以上、この文献に基づく結果は「真偽未決」とならざるをえないでしょうね。
つまり真実でもあり得るし、偽りでもありえるわけです。

「継承」問題を考える場合、他の方法を取らざるを得ないでしょうね。

その前にはっきりしておくべき事があります。

> 大聖人様の時代に日興上人を含む6人の直弟子が居ました。

確かに、六人の高弟を選び、滅後の日蓮教団の要として定められた文書はあります。
でもこれは、大聖人滅後のための教団運営・維持のために、その地縁・血縁にもとづき、最も貢献のあった六老僧を定めたものと思われます。
このことは、地域ごとにそこを統括する頭領をさだめる意味合いもあり、高僧のみならず、平僧、所化等にも徹底する必要のため、文書化されたものと思われます。

一方、日蓮教団を総括する大導師は、上級僧クラスの方だけが了解していれば済む話でもあるわけです。
当時のような、交通油断や通信手段のない時代、まとまりのある中央集権組織はまず無理です。
必然、値域分割指導性とならざるをえませんね。
以上のような事情から、大導師は上中級僧だけが暗黙に了解しておればよいという状態であった可能性は強いと思います。
勿論、日蓮大聖人から日興上人へは直々に「継承」の口伝があったでしょうし、他のものも日興上人が弟子中の第一人者であることを認めていたでしょう。

したがって、 「二箇相承書」の原本が最初は存在したかもしれませんが、そうではなく「口伝」の形で継承されたものが後世文書化された、ということもあり得るでしょう。
このことは私の推察ではあります。
そのどちらかかは、もはや確かめようもないと思います。

最後に、日興上人をのぞく五老僧に大導師の可能性はなかったかという問題が、当然、残ります。

でも、それは無理な話なのですよ。
彼らの日蓮大聖人の仏法了解のレベルは、決して高いものではありませんでした。

「 『三大秘法稟承事』に関しては、その記述内容が非常に高度であるため、仮にこれが日蓮以外の人物の手によるとしても、その可能性のある人物は限られたしまう。
目下のところ、可能性のある人物として仮定しうるのは、日蓮門下の富士門流の日興と日順の2人である。 」
(村上征勝『真贋の科学』 P112)

これをもう少し分かりやすく書きますと、こうなります。
「三大秘法抄」は非常に高度な内容である。
日蓮大聖人以外の人がこの文書を偽作したとすれば、それだけの能力のあるのは二人に限られてしまう。
それは、富士門流派の日興上人・日順師である。

ここに五老僧の名など一切ありません。
六老僧のなかで、日興上人は仏法に関して規格外の資質をもっておられたということです。

あの法門に関して精緻、かつ厳格であった日蓮大聖人が、御自身の仏法の真髄を日興上人以外の人へ継承したなどという可能性は皆無だということです。

以上のように推察するのが、もっとも妥当な考えだと思いますよ。

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tom********さん

2019/5/2018:05:11

日蓮正宗の血脈相承を証明する遺文には、仰るように二箇相承書のほかに、本因妙鈔、百六ヶ鈔、などがあるようです。
大石寺ではこれらを相承書とか相伝書と呼んでいるようですが、他の日蓮系宗派はもとより仏教宗派もそれらを偽書と見做しています。

よく大石寺の人たちは「他の日蓮系教団は都合が悪いから相伝書を偽書扱いする」と言うんですが、真跡は現存していませんし、信じるに足りるだけの証拠がなく、信頼できる古写本もありません。
他の日蓮遺文との間に齟齬があり、文脈も他の日蓮遺文にある言葉の言い回しとの間に強い違和感があります。

日蓮系教団の協力により編纂された昭和定本日蓮聖人遺文は真蹟遺文、写本遺文、真偽未決書、真跡断簡に分けて収録されていますが相伝書は一編も収録がありません。大石寺の堀慈淋(日亨)も編纂に協力していますから「都合悪いから掲載していない」と言うわけにはいきません。
日蓮宗宗学全書 興尊全集もまた堀慈淋の全面協力で編纂されましたが相伝書が昭和定本に掲載がなく、こっちには掲載されています。つまり、日蓮遺文では無いから掲載されているという事です。
各種富士門流の史料の蒐集や研究に心血を注いだ人物で、今の大石寺に比べるとかなり真実に迫ろうとした人物と言えるでしょう。

日蓮が後世に教えを伝えるにあたり、どのように考えていたか遺文を広く読めばはっきりしていることがあります。
何より、日蓮は法華経を広めたかった、という事です。
また法華経が唯一真実の釈迦の教えであると固く信じて、それ以外の経典を全て爾前経と断じました。
その爾前に固執して、法華経の教主であるべき釈迦以外を本仏の座に据える教団は容赦なく攻撃した事からも、法華経至上主義への注力の度合いがうかがえます。


しかし、日蓮遺文を読む限り、一貫している事実があります。
それは法華経と教主であるべき釈迦を否定しない宗派には言及がない、という事です(禅宗の不立文字や教外別伝、律宗の小乗二百五十戒等も結局釈迦の否定と見做されています)。
たとえば、大石寺では日蓮の教え以外のあらゆる宗教は全て謗法であり、邪教と断定しています。
それどころか、法華経を所依とする天台宗、他の法華宗、日蓮系教団さえも謗法、邪教であるとしていますね。
さらに、神社には神は棲まず、これらの神もまた謗法で邪教だとも。

ところが日蓮遺文にはあらゆるところに神の名前が書かれています。
日蓮は日本を神国といい、伊勢神宮内宮にて「我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ」との誓願を立てています。
日蓮の発明した曼荼羅本尊は、法華経見宝塔品の会座を図化したものです。ここでは釈迦の説法を耳にした十方の諸仏(地涌の菩薩)が集まり、古仏多寶如来が宝塔とともに出現して釈迦の説法を賛嘆し、正しさの証明役を買って出ます。そして多寶如来は宝塔の中に釈迦を招き入れて法座の半分を分け与えます。その様子こそが曼荼羅にそのまま座配されています。
曼荼羅中央の主題が宝塔、その両脇に釈迦如来、多寶如来が半座を分け合い、その下にあらゆる菩薩の名前があります。曼荼羅によって諸仏の種類に違いが見られることを考えても、これらは間違いなく地涌の菩薩です。
つまり、あらゆる神々は法華経の教主釈迦を本地とした垂迹であり、法華経の守護者の役割を担っていることが分かります。
ですから日蓮は日本に伝わる八百万の神に尊敬の念を込めています。当時の感覚としては極めて一般的です。

要は、日蓮は法華経とその教主釈迦を否定するものが法華経誹謗にあたるから、邪教と断じたのであり、それ以外を直ちに邪教だとは考えていません。
むしろ、日蓮の遺文の通りに解釈するなら、同じ法華経を所依とする天台宗や法華宗、日蓮各派を邪教呼ばわりすることは祖意に反することになります。天台宗の批判対象もあくまで台密ですからね。


日蓮が本弟子として六人を選定したのも、信頼できる数人を選定することで広く正しく法華経を広めたかったからであると考えれば自然です。
しかし、二箇相承書が本当だとすると弟子を六人選ぶことは不自然です。
古今東西、王族に兄弟が生まれれば家督を巡って骨肉の争いが繰り広げられてきました。
わざわざ六人を後継者候補に選定したうえで、日興にのみ秘法を授けたのでは残りの五人は到底納得しなかったでしょう。
しかし史実は六人の間に争い事の証拠は見つかっていません。

大石寺の用いる日興遺文を見ると、他の五人は四箇謗法と言われる四つの謗法を犯したことが要因で日興が身延山を下りたことになっていますが、真跡の残る遺文でそれらを証明するものは何一つありません。
他にも、日興が唯一正嫡の弟子であるとすると明らかにおかしい証拠があります。


日興の宗祖御遷化記録は真跡が現存する信頼できる確かな遺文ですが、そこには以下のようにあります。
「一、弘安五年[壬午] 九月十八日、武州池上に入御 [地頭衛門大夫宗仲]
同十月八日、本弟子六人を定め置かる [此の状六人面々に帯すべし云云、日興一筆なり]
定 一弟子六人事 不次第」
弘安5年9月の段階で日蓮は六人の弟子が「不次第」だと言ったという記録があるわけです。

更に、もう一つの証拠です。
日興が日蓮に代わって代書した波木井殿御報(真跡現存)の末尾には「所らう(労)のあいだ(間)、はんぎやう(判形)をくは(加)へず候事、恐れ入り候」とあります。この遺文は弘安5年9月19日に書かれた物です。
身延相承書は日蓮の死去する当日の弘安5年10月13日の筆とされますが、日蓮は既に9月19日の段階で遺文に判形を加えられないほどに衰弱していたことが分かります。

どうでしょう?
9月の段階で、日蓮は弟子が不次第だと言い、しかも判形を加えられずに日興に代筆させている事実を、日興本人が書き残しているのです。
これほど信用できる証拠が嘘と言えるでしょうか?

さらに、二箇相承書は大石寺ではなく、北山本門寺に伝承されてきた遺文です。
日興は大石寺を日目に任せた後、晩年を重須(北山)本門寺で過ごしています。
ですから仮に二箇相承が本物だったとしても、大石寺の正嫡の証明にはならないのです。


私は日蓮宗身延派の門徒ですから分かるのですが、仏教宗派から大石寺系の宗教は仏教と見做されていません。
悪口ではなく、事実として「大石寺は仏教系新興宗教」との見方が普通です。

長くなりましたが、日本仏教の基本は神仏習合にあります。
また日蓮の教えは本地垂迹により成立しています。
ですから、ありとあらゆる神々、菩薩は全て垂迹神にして法華経守護を誓った諸天善神に位置づけられます。
本来、法華経他の経典、あるいは他国の神とは共存可能なんですね。
それが仏教の思想の基本にある、という事です。

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tub********さん

2019/5/1912:58:26

「二箇相承書」=写し書きした文献は有るが、原本・本物が存在しない
のはどうしてでしょうか?
大石寺のみが主張している課題なのです。

「継承」について、言及しているのなら、血脈相承の問題も含め、法主が
途絶えた時代に、京都の要法寺から僧侶を担ぎ出し、資格も無い僧を法
主に据え、維持だけを行使した事実をどう、釈明するのですか?
要法寺の教義に感化、影響され、釈迦像・仏像を大石寺に造立した大謗
法の事実、消せない史実を、どう釈明するのですか?

なお、別のスレ投稿で、アナタ宛てに、大石寺檀家総代の「井出」氏の事
も言及し、釈明を求めています。
富士宮市の蘇我八幡宮の神社氏子総代も兼務してますが、法主は、何故
に井出氏を罷免出来ないのですか?

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ya2********さん

2019/5/1912:41:00

客観的に見れば、日興上人だと思います。

五老僧に「相伝は私が受けた」と云っている人もいないようです。
六老僧の中で相承を受けたとされているのは日興上人だけです。

日蓮大聖人御入滅後、身延山に暮らされたのは日興上人です。
日向は日興上人に学頭職に任命されています。日向ではありません。
日朗・日昭は一体仏・註法華経を勝手に持ち帰っています。
しかし、ご遺骨は日興上人が守られていました。
つまり、最重要遺品は持ち出していません。
これを考えると、日朗・日昭は考えにくいです。
日頂は日興上人をたずね、最期は大石寺の近くでなくなります。
日持は行方不明。

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wou********さん

2019/5/1901:09:11

質問者さんと同門の檀徒です。

昔読んだ本か雑誌に、五老僧の何方かの(日朗上人だったかも・・・)相承書が在る、と読んだ覚えがあります。

私自身は、日興上人こそ大聖人様の教えを受け継いだ、と考えています。しかし二箇相承書は限りなく疑わしいと思いますね(他門流の相承書も同様です)。また、この書が真蹟だとした場合、この相承書は北山本門寺所蔵ですから、大石寺には直接関係がなくなります。この場合どう会通するか、と言う問題が残ります。

私は、富士門流以外は偽書とされている二箇相承書の価値は、かなり低いと思っています。確かな事は、大聖人様は六老僧を「本弟子」と定められた事実だけです。この件に関しては、他門流の方が解りやすく受け入れられる、と思っています。つまり、大石寺側には、何ら説得力はない、と言うことです。
もし、大聖人様が間違いなく日興上人一人に附法したのなら、誰も知らないなんて事はないだろうと思いますね。やはり天台強りと思われる日照上人以下の老僧達に滅後を託した、と考えた方が良いように思います。歴史を振り返れば、日蓮宗は浄土真宗の様に、統一された教団ではなく、各本山単位になっているのも、正に現証だろうと思えます。

逆に考えて見てください。日興上人だけに託したのではないので、それは六老僧の多様性が大聖人様の信心と言うことになるわけです。それは言い換えれば、可能性が広いと言う事です。
御書には、造仏や神社参詣など、各門流の考え方に通じる書き物が残されています。大聖人様は、造仏や神社参詣を杓子定規に否定されていません。
そういった事も視野に入れ、寛容な心で宗学を考えてみる必要があるのではないでしょうか。特に我々は僧侶ではないのですから、もっと多様性があって然るべきじゃないかと思っています。

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des********さん

2019/5/1821:10:29

本尊七か相承とかもあったと思いますよ

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