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横山三国志で、曹操や曹仁や曹洪、他は馬超や馬岱のような従兄弟で登場しています...

pug********さん

2019/6/717:12:10

横山三国志で、曹操や曹仁や曹洪、他は馬超や馬岱のような従兄弟で登場していますが、いつの間にか従兄弟が兄弟になっていたりするのはなぜなのでしょうか。

特にわかりやすいのが曹仁で、初めはいとこと明言されていたのが、樊城の戦いで関羽から「魏王の弟」と呼ばれていたと記憶しています。たしか馬岱も後で馬超から弟と呼ばれた記憶もうっすらとあります。

これは作者のミスか、それとも今よりはるかに死亡率が高い時代は従兄弟が兄弟になるのが珍しくなかったのか、従兄弟関係のままであっても、年上年下を兄・弟と呼んでいたのか。

何かご存じの方おられましたら、教えてあげて下さい。

予想でも結構です。

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koy********さん

2019/6/900:31:16

古代中国では、イトコでも兄弟と呼んでいました。韓信と戦った田氏3兄弟もイトコが入っています。名前に、長男には、伯、次男には、仲、四男には、季、が使われる事が多いですが、長男なのに、仲や季が使われる場合も有り、同年代のイトコが最初に伯を使った場合に、長男でも仲を使う場合さえ存在します。

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2019/6/12 10:53:59

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val********さん

2019/6/803:04:06

まぁ、作者のミスだと思います。
その上で、正史にしろ演義にしろ、正確を期すなら原典に当たらなければいけませんが、当然古い中国語の資料と言う事になります。
さらに、正史であれば、その正確性を調べる為に、もっと古い同時代を扱った資料にも当たらなければなりません。
当然、そこまで本格的に調べるのは学者レベルの本職の仕事で、漫画を描くなら日本語の資料に当たるくらいでしょう。
すると、その資料の著者や訳者ごとに書いている事が違ったりします(^^;
そう、そもそもの資料が色々間違っている事が多いのです。
ですから、自作においてはこうする、と自作版の設定を固める事になるでしょう。
もちろん、その固めた設定は守るべきですが、昔の漫画連載では設定忘れて描いちゃう事も日常茶飯事だったから、三国志だけが特別では無い、と言う事で。

一応、後に姉妹を嫁に取り義兄弟になった、とか、桃園の様に義兄弟の契りを結んだ、と言う事があった可能性はあるかも?
ま、ミスだと思うけどw

kan********さん

2019/6/801:03:14

作者のミス、って言ってしまうのは少々酷だと思いますけどね。
横山光輝氏が三国志を執筆・連載していたのは1971年から1987年にかけてです。当時はまだ昨今のような三国志ブームなど兆しもない状態で、日本語の資料を揃えるのも容易ではありませんでした。どのくらい容易ではなかったかというと、筑摩書房から出ている正史三國志の完訳(今ある文庫版ではなくて、その元のハードカバー新書版のほう)が出版されたのが確か1973年です。それが文庫化されて購入しやすくなったのが1992年の話です。ついでに言えば、『三国志演義』の完訳は今確認出来る限りでは岩波書店の版が最速で1988年の出版です。
つまり、横山光輝氏は参照出来る文献もほとんど無いままに漫画『三国志』を執筆したのです。彼が参照したのは原案に選んだ吉川英治氏の小説『三国志』だけだったのだと思います。だから横山『三国志』には吉川氏の創作した「芙蓉姫」が出てきます。

まあそんなわけなんで、横山『三国志』は後世に色々突っ込まれる要素がいくつもあります。例えば張郃が2回死んでたり、とある人物が初回登場と再登場とで骨格レベルで人相変わってたり、連載誌の休刊のあおりを受けて官渡の戦いが丸ごとカットされてたり。ぶっちゃけた話、従兄弟と兄弟の表記揺れなんて些細な話ですよ。
ついでに言えば、横山光輝氏は『三国志』を執筆し始めた頃は中国史にも三国志にも全く興味がなく、出版社の意向で連載始めてみたものの資料探しや人物の描き分けに相当苦労した、と何かのインタビューで語っています。昨今の三国志ブームではちょっと考えられないでしょうけど、当時はそれが普通だったんですよ。

ord********さん

2019/6/800:42:35

漫画の表現は恐らく作者のミスだと思いますが、ちょっとくらいの想像を挟む余地は許されるかな?とも思います。
例えば曹仁ですが、漢王朝の守護者を自認する劉備の陣営にとって、曹操一門は王朝をないがしろにするならず者の集団です。ですから、曹操をそのならず者の親分と揶揄しつつ、曹仁はその舎弟とか弟分に過ぎないと見下した言い回しにしたのかもしれません。まあ、あまり上品な台詞とは言えませんが。
馬超はもっと切羽詰まっていて、父と弟二人は既に曹操によって殺され、漢中に逃れる最中に(史実ではどうなっていたかよく知らないのですが)妻子も殺されています。ですから唯一生き残っていた肉親の馬岱を兄弟として扱いたかったのかも知れません。「いざという時には、お前が馬家を継いでくれ」なんてやり取りがあったかも…。
質問者様も想像されているかも知れませんが、今よりはるかに死亡率が高い時代だからこそ、血縁に関係なく、心から信頼し信頼される相手を兄、弟と呼んで、その信頼を形にしたい、なんて感情もあったかもしれません。兄貴分、弟分、兄弟子、弟弟子という言葉もあるくらいですから。でもここまで来るともはや任侠もの、三国志ではなく、むしろ水滸伝のノリになるでしょうか?。
妄想をだだ流しにしてしまいましたが、そのくらいの遊びはあってもいいかなと思います。
公平に考えれば作者のミスじゃないかと考えるのが妥当なのかも知れませんが、その部分を想像というか妄想で補完するのもありかな、と思うわけです。物語の大筋にそんなに影響があるわけでもありませんから。

nak********さん

2019/6/717:33:58

作者のミスです..

曹氏夏侯氏は一族が多くて正史でも血縁関係の記述に矛盾がありますが
一つの作品内では矛盾しないように設定を決めてしまうのが普通です..

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