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法華経を受持し、南無妙法蓮華経を唱えたら、 空中浮遊できるようになりますか?

法華経を受持し、南無妙法蓮華経を唱えたら、
空中浮遊できるようになりますか?

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h0q********さん

2019/6/1318:44:51

古代インド人は彼らの思想を伝達することに極めて熱心で、たとえば
リグ・ヴェーダ経典は世界最古(おそらくBC1200年頃成立)の
残存する経典となっています。
ここでは、夢の中で自由に行動する自己とあります。そして、
夢の中の世界や睡眠状態の世界をもう一つの事実の世界である
と見なしています。このような夢の内容をそのまま事実の世界と
思い込む現象は、決して、古代インド人だけに特有のものではなく、
現代人の中にもしばしば見られるものです。たとえば、
「ベッドに横たわる自分の姿を上から見ていた」、という
内容の夢を見た人が、夢を事実と取り違えて、
「身体から抜け出した魂が抜け殻の身体を上から見ていた」、という
ふうな解釈したりする話を、今日でも時々聞きます。
「自らは眠らず、眠った者たちを観察する」というのも、
そういうことを意味してるのでしょう。
しかし、古代インド人の特徴は、夢の中の体験を、目覚めている時にも
体験しようと執拗に試みたところにあります。それが、ヨーガ
(瞑想)だと思われます。ヨーガ(瞑想)に関する教典から、
古代インドのバラモン教の実践者たちが、現実の世界よりも
夢(空想)の世界の内容を「より真実の世界」であると
思い込んでいたことがうかがえます。
ヨーガ行者は夢の中と同じ体験を瞑想のなかに求めます。さらに、
夢の中で自由に徘徊する自己、という考えをエスカレートさせて、
ヨーガ行者は
水上を歩き、蜘蛛の糸の上を歩き、光線の上を歩き、さらに虚空を
自由に行くことができる。
とか、
心が身体を離れて外的に働くときは、大離身といわれるのである。
この大離身によって、ヨーガ行者は他人の身体に入る。
などとも言われます。夢の中で「自己」が身体を離れていく現象を、
目覚めている時に意図的につくりだす心理的テクニックが
本来のヨーガ(瞑想=夢想)の目的だったろうと思われますが、
後には、身体を持ったまま空中を飛ぶ、いわゆる「空中浮遊」などが
信じられるようになります。
いずれにしても、夢や空想を現実から区別をしようとしない独特の
宗教的習慣が古代インド人の間にあったことは否定できません。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q122017114...

質問した人からのコメント

2019/6/18 07:26:26

なるほど!

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youichi5959さん

2019/6/1617:24:11

空中浮遊がどうしたんですか?

そんなものがどこが不思議なんですか?たとえそれができたとしても
やがて死ぬ身です。



阿弥陀仏がかつて世自在王仏の身身元で法蔵菩薩という修行者であった
時、とてつもない誓願を世自在王仏に願い出られました。

「十方衆生は三世に渡り、苦しんでおります。とても見ておれないのです。
私は、なんとしても十方衆生の苦しみの根元を抜き取り、この世も未来に
渡ってまで永遠の幸福に助けてやりたいのです。どうかご許可を頂きたく
お願い申し上げます」と願い出られました。

それを聞かれた世自在王仏は「法蔵よそなたの崇高な誓願まことに殊勝な
るぞ!だがな十方三世の諸仏方(大宇宙すべての仏方)はとても手に負えぬ
と十方衆生は見捨てられたのだ。お前に無駄な苦労は掛けたくないから、
それだけはアキラメよ」と言われました。

しかし法蔵菩薩は何度も何度も世自在王仏に願い出られ、許しを請われま
した。

そこで世自在王仏は法蔵の誓願を断念させるために「法蔵よ!三世十方の
諸仏より見放された十方衆生を助け切ることは大会の水を貝殻で組みほし
て、海底にある宝物を手をぬらさずに持ち出すこと以上に難しいことなの
だ。そなたにムダな苦労は師として見過ごすわけにはいかぬ故、言ってい
るのだよ」

「そのことは重々分かった上であります。すべての仏方から見捨てられた
衆生だから助けずにはおれないのです。どうか助けさせてください」
と願い出られました。

そういう私たちであることをよくよく噛みしめて下さい。


世自在王仏は「法蔵よ!ではそなたの言う通り
やってごらんなさい」と漸く世自在王仏はご許可を出されたのです。

これは大無量寿経に「法蔵菩薩と世自在王仏のやり取りが説かれてい
ます。

それから法蔵菩薩は五劫の思惟と兆載永劫のご修行を成就されて
「南無阿弥陀仏」という無上の宝を完成されたのです。

釈尊は『大無量寿経』に南無阿弥陀仏の大功徳を以下のように説かれて
います。
「仏、弥勒に語りたまわく『それ彼の仏の名号(南無阿弥陀仏)を聞く
ことを得て、歓喜踊躍し、乃至一念すること有らん。当に知るべし、
この人は大利を得と為す、すなわちこれ無上の功徳を具足するなり」。
意訳
弥勒よ、阿弥陀如来の名号を聞く一念で、無上の功徳と一体になれるの
だよ。この世も未来も、弥陀の浄土で本当の幸福になれるのだ。

一体になれるということは南無阿弥陀仏ととろけあうということ。

阿弥陀仏の造られた「南無阿弥陀仏を聞く一つで与えてやろう。
そしてこの世は絶対の幸福に救いとり、死ねば弥陀の浄土に往生させ
弥陀同体の仏に生まれさせてやろう」

と弥陀は誓っていられるのです。

空中を浮遊するのも結構なことでしょうが、地獄行きの我々が煩悩を
持ったままでこの世は極楽で遊んでいるような心にさせられ、死ねば
弥陀の浄土へ泥足で乗り込ませて頂けるこの不思議は他のどんな不思議も
それは不思議ではなくなります。

弥勒菩薩は仏より一段下で修行中です。五十六億七千万年後にようやく
仏の悟りを開けるのですが、この世で阿弥陀仏に救われた人は一息切れ
ると同時に「弥勒!お先ごめん!」と弥陀の浄土に生まれ仏になれる」
と釈尊は『大無量寿経』に説かれています。

まず人間というものはどんなものかを知ると如何に弥陀に救われると
いうことは不可思議なことかが分かります。


釈尊は十方世界に不思議が五つあると説かれています。
1.衆生多少不可思議
2.業力不可思議
3.龍力不可思議
4.禅定力不可思議
5.仏法力不可思議(阿弥陀仏の救い)

を挙げられ、阿弥陀仏の本願に救われるということは人間の知恵をはる
かに超えたとんでもない不可思議であると説かれているのです。

禅宗の白隠と三河の真宗の清九郎が対談しています。
「念仏とは鬼が転じて仏になる」力であると言って、白隠をうならせた
のは有名です。


https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q121835939...

モンキーさん

2019/6/1319:19:42

質問がオモシロいわw

逆。虚空会で唱える題目だから南無妙法蓮華経と呼ぶんだよ。

法華経を受持してる人は「二処三会」くらい知ってる。ググってこいw

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tub********さん

2019/6/1318:57:53

法華経を依教として崇拝し、題目を唱える宗派、教団はとても多い
ですが、空中浮遊は聞いた事が有りません。

また、法華経の現代語訳、解説書にも記述が有りません。

kog********さん

2019/6/1317:13:56

やはり体重がある間は、難しそうだと思いませんか?

ant********さん

2019/6/1317:01:35

>法華経を受持し、
>南無妙法蓮華経を唱えたら、
>空中浮遊できるようになりますか?
無理です。不可能

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