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豊臣家臣団について質問します。中国大返しの頃、家臣の序列を教えてください。 ...

awa********さん

2019/6/1516:08:10

豊臣家臣団について質問します。中国大返しの頃、家臣の序列を教えてください。

「直臣」には羽柴秀長、木下家定のほかに誰がいたのですか?

蜂須賀正勝、黒田官兵衛、浅野長政は「与力」だったと思います。織田信長から領地を与えられた武将たちです。

当時、羽柴秀吉の領地は近江の長浜、播磨の姫路でした。主だった直臣を上から教えてください。

■羽柴秀吉、織田信長、明智光秀、

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tan********さん

2019/6/1719:07:26

天正10年(1582)6月における羽柴秀吉の直参家臣、序列一覧

天正16年の家臣序列は明確だが、天正10年6~7月は前例が無い。
以下間違いを承知で、やれるとこまでやってみよう。

・・・・

木下長秀(天正12年より羽柴秀長)(城代 一門衆筆頭)

杉原家次(高松城代 一門衆筆頭格)

蜂須賀正勝53000石(龍野城代 天正元年頃に直参衆)

杉原定利(木下定利)(一門衆次席)
木下家定(一門衆次席)
小出秀政(一門衆 天正十二年頃側近六人衆)
佐治日向守(一門衆)(朝日姫の夫?で自害?)

前野長康(坪内光景)

石川光政(鏡山城代 側近)

仙石秀久 20000石?(洲本城代)

加藤光泰 17000石(丹波周山城代?)

亀井茲矩 13500石(鹿野城代 天正六年直臣編入)

伊藤秀盛(代官 天正十二年頃側近六人衆)
木下昌利(代官 一門衆のはずだが)(要検証人物)
立木直治(代官)
石川光重(天正十二年頃側近六人衆)
蒔田久勝(天正十二年頃側近六人衆)
寺沢広政(天正十二年頃側近六人衆)
一牛斎歓仲(留守居衆 天正十二年頃側近六人衆)(要検証人物)

生駒親正(織田家臣? 天正10年頃には秀吉直臣?)
桑山重晴(後の利休の弟子)
芝山監物宗綱(後の利休門三人衆・利休七哲)(要検証人物)

寺西直次(本田城代 美濃衆)
中島氏種(中島城代 尾張衆)

戸田勝隆 7000石?(黄母衣衆頭)(羽柴家四天王)
尾藤知宣 6000石?(大母衣衆)(羽柴家四天王)
神子田正治 6000石?(腰母衣衆)(羽柴家四天王)

松原内匠(尾張衆 亘利城代)
稲田稙元 数千石?

来島通総(水軍 来島城主)(天正十年に河野家から秀吉直臣)

堀尾吉晴 3500石(長浜時代に直参衆)

有馬則頼 3300石(天正8年頃直参衆 播磨衆)

一柳直末 2500石(黄母衣衆)

富田知信(一白)(天正元年頃か本能寺の変直後に直臣?)

山内一豊 2000石以上(天正元~四年頃直参衆)
伊藤祐美

森重政 数千石(毛利へ人質)(後に毛利重政)
森高政 3000石(毛利へ人質)(後に毛利高政)

木村定重 数千石
木村重茲(後の利休の弟子)

竹中重利 3000石(美濃衆)
竹中重門

増田長盛 千石?(奏者)

平野長治

穴太駿河守(穴太衆)

石井与次兵衛(水軍 船奉行)

小西立佐(網干代?)(天正8年頃直臣)
小西行長(宣教師使者 小豆島代官 船役)(天正8年頃直臣)

堀田盛重 数千石?(黄母衣衆組頭)
堀田正吉(黄母衣衆)
津田信任(黄母衣衆)
大塩正貞(黄母衣衆)
中西守之(黄母衣衆)
中西弥五作(黄母衣衆)
小野木重次(黄母衣衆)
小野木重勝(黄母衣衆)
野々村幸成(黄母衣衆)
野々村雅春(黄母衣衆)
伊木遠雄(黄母衣衆)
伊東祐時(黄母衣衆)
速水守久(黄母衣衆)
蜂須賀家政(黄母衣衆)

尼子六郎左衛門 1000石(馬廻組頭)
石川光元(馬廻組頭)
中嶋氏種(馬廻組頭)
真野頼包(馬廻組頭)

明石元知 1000石(天正8年頃直臣)(黒田官兵衛の従兄弟)

中村一氏 500石以上?(鉄砲組頭)
中村重友(尾張衆)
中村重勝(後に蜂須賀家政の家臣 子が中村勘三郎?)

石田三成(小姓頭?近習頭?)
石田正澄

糟屋武則(小姓頭)

稲葉重通(馬廻)
牧村利貞(馬廻)
安威守佐(馬廻)
安威源秀(馬廻)
安威藤治(馬廻)
安威孫作(馬廻)
石尾治一(馬廻)
早川長政(馬廻)
矢野定満(馬廻)
矢野下野守(馬廻)
郡宗保(馬廻)
大谷平馬(後の大谷吉継)200石?(馬廻)

一柳直盛
石川貞清
石川貞通

垣見一直(使番)

近習衆(秀吉書状には「小性共」とあり)
片桐且元
加藤清正 300石?
加藤嘉明 300石
福島正則 200石
脇坂安治 180石
平野長泰
桜井佐吉(後の賤ケ岳九本槍 数千石に出世するも消息不明)
石河兵助(賤ケ岳の戦いで討死)
石河長松(後の賤ケ岳九本槍 数千石に出世するも消息不明)

山口正弘

伊藤長弘(鉄砲組?)
生熊長勝(鉄砲組?)

小寺吉兵衛(黒田長政)?石(天正10年頃に小姓か 詳細不明)



ありけん八 五人扶持
(天正十年三月十日付小出秀政宛自筆文書より)
「ありけんぱち?」は秀吉が書いた名で本名は不明
ありまけんぱち、ありたけんぱち、ありよしけんぱち、などか。

天正十年、ありけん八が秀吉家臣で確認できる最下の者である。


・・・・・・・・・・・・補足1・・・・・・・・・・・・・・・・

※羽柴秀吉の与力(寄騎)

黒田孝高 10000石(播磨衆)(本能寺の変直後に直臣?)

堀秀政(備中高松城攻め救援与力 本能寺の変直後に直臣の可能性)

浅野長吉 300石?(一門衆)(長浜時代に直臣になった可能性あり)

青木一矩(一門衆)(天正10年時には小一郎長秀の小姓か?)

毛利広盛(美濃衆)
牧村利貞(美濃衆)
丸毛兼利(美濃衆)

坪内利定(鉄砲衆 本能寺の変直後に直臣?後に直臣辞退?)

(但馬因幡衆)
宮部継潤 30000石?(鳥取城代)
荒木重堅(木下重堅)(天正6年頃に直臣になった可能性あり)
荒木助右衛門 250石
垣屋恒総
南条元続
杉浦七郎左衛門

・・・・・・・・・・・・補足2・・・・・・・・・・・・・・・・

1588年度の秀吉の直臣の序列は正確に記載されている。
ただし左右の列に分かれているので、左右番付の順は同格と推定。
この序列が天正10年の序列の参考になる。
誰が大出世したのかよくわかるはず。

「天正十六年聚楽第行幸」

前駆 秀吉直臣大名衆列

【左列】
増田長盛
長谷川守知
加藤嘉明
早川長政
堀田盛重
伊東長次
小野木重次
蒔田広光
一柳越後守
矢野下野守
服部一忠
石川数正
宮部肥前守
市橋長勝
生駒忠清
矢部定政
多賀谷重経
稲葉重通
前野長康
福原長堯
吉田重勝
加須屋直雄
池田長政
中川武蔵守
高田治忠
真野助宗
安威守佐
平野長治
溝口重勝
斉村政広
中川秀政
荒木重堅
九鬼嘉隆
瀬田掃部
尼子宗澄
芝山監物
富田一白


【右列】
石田三成
山崎定勝
脇坂安治
片桐且元
服部正栄
谷衛友
石川貞通
小出秀政
松浦重政
寺沢広政
青山忠元
別所宗重
垣屋光成
川尻秀長
牧村利貞
新庄直頼
蜂屋謙入
松岡右京進
木村常陸介
大谷吉継
片桐貞隆
佐藤秀方
生駒修理亮
高畠定吉
田中和泉守
石田正継
石川光重
薄田若狭守
村上義明
明石右近
山崎片家
南条元続
岡本良勝
吉田興種
奥山重定
柘植与一
織田左馬允

・・・

随身
【左列】
野村直勝
森民部大輔
木下秀規

【右列】
蒔田政勝
中島左衛門
速水守久

布衣
一柳弥三右衛門
小出吉成
石田正澄


(群書類従・聚楽第行幸記より)

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ric********さん

2019/6/1715:06:19

加藤清正、福島正則、大谷吉継、山内一豊、増田長盛、仙石秀久、田中吉政、石田三成、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、糟屋武則、加藤嘉明など著名な旗本がいましたが序列はわかりません。
上記武将より序列が上と思われる武将としては黄母衣衆(長浜時代)の
尾藤甚右衛門尉知宣
大塩金右衛門尉正貞
一柳市介直末
神子田半左衛門尉[正治
中西弥五作守之
一柳弥三右衛門尉
小野木清次郎重次/公郷
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%AF%8D%E8%A1%A3%E8%A1%86

すみません、回答になっていなくて・・・

(-o-)/

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