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なぜ、叙任権闘争はどの文献でも一応の解決を見た、のような煮え切らない言い方を...

azc********さん

2019/6/1609:10:37

なぜ、叙任権闘争はどの文献でも一応の解決を見た、のような煮え切らない言い方をしているのでしょうか?

補足ヴォルムス協約において、です

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ste********さん

2019/6/1801:03:13

>煮え切らない言い方

それは、「妥協」だからです。

ケンカしている相手と、仲直りしなさい、ということになった時、
内心はそう思っていないのに、とりあえず握手するというような
情景を思い浮かべてください。
とりあえず仲直りしたが、またすぐ仲が悪くなりそうな雰囲気
という感じになるかもしれません。
これが妥協というものです。

外交とは、双方の主張の妥協点を探りあうことです。
双方が全く折り合いがつかなければ、対立ということになります。
対立が深ければ、武力衝突ということに発展することもあるわけです。

叙任権闘争は、最悪の武力衝突までいっていました。
実際には、教皇陣営と皇帝陣営の分かれて、争いを続けたのですが、
ほとんど妥協点が見いだせないほどの対立でした。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%82...

ヴォルムス(ウォルムス)協約の説明で、
「一応の」という形容詞が付けられることも多いです。
これは、とりあえずの妥協だったということを意味しています。

叙任権闘争の対立をグラフ化すれば、その対立の頂点は
カノッサの屈辱あたりになると思ってください。
その後も、皇帝と教皇は、激しく争いました。
カノッサ事件で勝利者と説明されることもある教皇の
グレゴリウス7世ですが、その後は皇帝ハインリヒ4世の逆襲にあい、
ローマから逃げ出し、不遇の中で死んでいます。

ローマ教皇は、固有の軍事力が無いので、
皇帝と軍事的に対決すると勝ち目がありません。
(ガチでやりあうと負けるということ)

カノッサの屈辱(1077)から、ウォルムス協約(1122)まで
50年近くの間があります。
この間、教皇だけなら10人くらい変わっています。
中には十字軍の時に学習する、ウルバヌス2世も入っています。

つまり、十字軍が始まったことで、教皇の権威が徐々に高まっていった
わけです。

ウルバヌス2世が提唱した第一回十字軍に、皇帝が参加していないのは、
叙任権闘争が相変わらず続いていたからでした。

教皇はいろいろ変わっていますが、皇帝の方は、
ハインリヒ4世から、息子のハインリヒ5世に代替わりしただけでした。

https://kotobank.jp/word/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83...

ハインリヒ5世は、父ほどは教皇に対して有利な立場になれませんでした。
結果として、教皇と妥協せざるを得なくなり、
ウォルムス協約が結ばれたのでした。

叙任権という問題は、一応の解決を見ましたが、
教皇と皇帝の対立関係は、その後も続きました。

ウォルムス協約以後は、ギベリン対ゲルフという
勢力争いに移っていきました。

質問した人からのコメント

2019/6/21 17:47:21

非常に詳しくて参考になりました
ありがとうございました

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