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呉書三国志 巻五十四

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ID非公開さん

2019/6/1817:47:27

呉書三国志 巻五十四

劉子揚、與肅友善、遺肅書曰「方今、天下豪傑並起、吾子姿才、尤宜今日。急還、迎老母。無事滯於東城。近、鄭寶者、今在巢湖、擁衆萬餘、處地肥饒、廬江閒人多依就之、況吾徒乎。觀其形勢、又可博集。時不可失、足下速之」肅答然其計。葬畢、還曲阿、欲北行。會瑜、已徙肅母、到吳。肅、具以狀語瑜。時、孫策已薨、權尚住吳。瑜、謂肅曰「昔、馬援答光武云『當今之世、非但君擇臣、臣亦擇君』今主人、親賢貴士、納奇錄異。且吾聞、先哲祕論、承運代劉氏者、必興于東南。推步事勢、當其曆數。終搆帝基、以協天符、是烈士攀龍附鳳馳騖之秋。吾、方達此。足下、不須以子揚之言介意也」肅從其言。瑜因薦、肅才宜佐時、當廣求其比、以成功業。不可令去也。
の部分の書き下し文と読みを教えてください。よろしくお願いします。

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cqe********さん

2019/6/1911:10:43

<読み下し>
劉子揚は肅と善き友なり、肅に書を遺(ヤ)りて曰ふ「方今(ホウコン)、天下の豪傑並び起ち、吾子(ゴシ)の姿才(シサイ)、尤(モット)も今日宜(ヨロ)し。急ぎ還(カエ)りて老母を迎えん。東城に於いて滯(トドコウ)る事無かれ。近ごろ鄭寶(テイホウ)なる者、今巢湖に在りて衆萬餘を擁(ヨウ)す、處地(ショチ)は肥饒(ヒジョウ)にして廬江の閒(マ)の人の依って多く之に就(ツ)く、況(アニ)吾も徒(ユカ)ん乎。其の形勢を觀るに、又博集する可(ベ)し。時を失うべからず、足下(ソッカ)之(コレ)に速(イソ)げ。」肅答えて其計然(シカ)りと。葬畢(ソウオワ)り、曲阿に還り、北に行かんと欲(オモ)ふ。瑜に會(ア)ふ、已(スデ)に肅の母を徙れて吳に到る。肅、具(ツブサ)に狀を以て瑜に語る。時に孫策已に薨す、權(孫権)尚(ナオ)吳に住む。瑜、肅に謂(イ)いて曰(イワ)く「昔、馬援が光武に答えて云ふ『當今の世、但(タダ)に君が臣を擇ぶに非ず、臣も亦た君を擇ぶ』と。今主人、賢に親しみ士を貴(タット)び、奇を納め異を錄す。且つ吾聞く、先哲(センテツ)の祕論(ヒロン)、運を承(ウ)け劉氏に代はる者は、必ずや東南に興ると。事勢を推步(スイホ)すれば、當(マサ)に其の曆數(レキスウ)にあたり、終(ツイ)に帝基を搆(カマ)へ、以て天符に協(カナ)ふ、是(コレ)烈士が攀龍(ハンリュウ)附鳳(フホウ)して馳騖(チブ)の秋(トキ)なり。吾、方(マサ)に此(コレ)に達す。足下、以て子揚の言は意に介すべからず也」肅、其言に從ふ。瑜因って薦し、肅の才宜しく時を佐(タス)け、當に廣く其の比(クラ)ぶべきを求め、以って業を成功すべし。去らしむべからず也。

劉子揚(劉曄)、肅(魯粛)、瑜(周瑜)、權(孫権)。
方今:最近、今日、当今など。
吾子:あなた、相手に親しみを込めて呼ぶ場合に使う。
尤宜:尤=もっとも、宜=よろしい・正しい・都合がよい、この文では“ふさわしい”を使いました。
還:帰と同じ。“帰る” あるいは “戻る” 等の意味。
處地:居る場所。
肥饒:肥えてゆたかな土地。
閒:間と同じ。
足下:同輩に対する敬称。
葬畢:畢=終。この時、魯粛の祖母の葬儀が行われていて、葬儀が終わると…の意。
北に行かんと欲ふ:欲=おもう、ほっす、どちらでも良い。
擇:擇=選と同じ。
納奇錄異:“非凡な才あるものを招き用いる” こと。納奇錄異(ノウキロクイ)と読んでも良い。
推步:天体の運行を計算して暦を作る、或は占うこと。
曆數:自然に定まっている運命、天命をうけ帝位につく運命。
攀龍附鳳馳騖之秋:攀龍=ハンリュウ、龍につかまる(優れた人物に従って出世すること)。附鳳=フホウ、意味は攀龍と同じ。馳騖=チブ、縦横にかけまわる。秋=季節をいう場合もありますが “時” という使い方のあります。この文の場合は “大事な時、危急存亡の時” の意。
佐:たすける、補佐するの意。

<現代語訳>
劉子揚は、肅と善い友だった。肅に書を送って言った「このごろ天下の豪傑が並び起っていますが、貴方の姿質や才能は今日もっともふさわしい。急いで還って老母をお迎えなさい。東城で何事もなく過ごすべきではありません。近くでは鄭寶という者がいて現在巢湖に在って、一万余の衆を擁しており、その土地は肥沃で、廬江の間の人々の多くはこれに身を寄せています。吾も勿論これに身を寄せるべきです。其の形勢を見ると、さらに多くの人が集まるでしょう。時を失ってはなりません。貴方の急がれますように。」肅は答えて其計に賛成した。葬が畢ると曲阿に還(モド)り、北にむけて行こうとした。そのとき瑜が肅の母を吳に連れて来ていた。肅は事情を詳しく瑜に語った。この時、孫策は已に亡くなっていたが、權はなお吳に住んでいた。瑜は肅に言った「昔、馬援は光武に答えて『当今の世は、主君が臣下を選ぶだけではなく、臣下もまた主君を選ぶのです』と申しました。今、ご主人(孫権)は、賢者に親しみ士を尊び、非凡な才能あるものを招き任用しています。さらに私が聞くところでは、先哲の祕論として、天運を承けて劉氏に代わる者は、必ずや東南に興ると言われ、事勢の成り行きを占ってみれば、まさに其の暦数に当たっており、ついには帝王の基を搆え、天下の符命に協うでしょう。是は烈士が龍につかまり、鳳凰に取り付いて縦横にかけまわるべき時です。私はまさにその時を得たのです。貴方もどうか、子揚の言葉は意に介されませんように。」肅は其の言葉に従った。瑜はそこでに肅を推薦して、肅の才能は現在の時を佐にふさわしく、まさに彼と同様の才能をもった者を広く求め、帝業の成功をはかり、よそに行かせるべきではありませんと言った。

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質問した人からのコメント

2019/6/19 11:23:14

ありがとうございます!
授業で扱っているところなのですが、難しく内容が理解できていませんでした。

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