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東美濃は戦国時代どのような勢力におさめられていたのでしょうか? 時代順に教えて...

tie********さん

2019/6/2002:52:03

東美濃は戦国時代どのような勢力におさめられていたのでしょうか?
時代順に教えてもらえたらうれしいです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

usai21さん

2019/6/2009:24:46

基本的にはずっと遠山氏が治めていました。
遠山氏は源頼朝の頃から東濃に根付いてこの地を支配していました。

七遠山や三遠山と呼ばれる諸家に分かれていましたが、岩村遠山氏が惣領格でした。

さて、武田信玄の勢力が南信濃を制圧して勢力が接するようになると遠山氏は武田氏に降りますが、あくまで従属的な独立勢力のままでした。

一方で織田信長が美濃を支配すると縁戚となるなど武田、織田それぞれに両属する形となります。

織田氏、武田氏からみると双方の緩衝地帯のようになっていたのが東濃です。

やがて岩村遠山氏の最後の当主である景任が死去すると織田信長は自分の息子を遠山氏の養子にねじ込み東濃の両属状態は終わりを迎えます。

これに対抗して武田信玄は家臣の秋山虎繁を使って岩村城を急襲し、織田信長の息子を人質に捕らえて東濃を奪い取ります。

その支配は武田勝頼の代まで続きますが、最後は織田信長に奪還されて織田、武田両氏による争奪戦は終わりとなります。

質問した人からのコメント

2019/6/20 13:49:01

回答下さった皆様ありがとうございました。大変よく理解できました。

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sks********さん

2019/6/2011:14:06

東濃の拠点岩村城は遠山氏の支配下でしたが遠山家は土岐家、斎藤家さらに織田家にと歴仕したのでそれぞれの支配下に置かれていました。遠山家の最後の当主は他の回答者が書かれている通り景任です。景任病死後は景任の妻で織田信長の叔母のおつやの方が城主を務めていました。そこに武田信玄家臣の秋山信友が攻め寄せおつやの方を娶り岩村城を乗っ取り場内にいた信長の子も甲斐に送られました。武田家が信玄、勝頼となり長篠の戦いで勝頼が敗北すると岩村城奪還のため織田信長が嫡男の信忠を大将にした大軍を送り込みます。秋山信友は善戦するも援軍もなく降伏を選択しました。信友は磔刑に処されおつやの方も処刑されました。その後は織田家の支配下となり岩村城攻めの功もあり森長可に与えられました。本能寺、小田原攻め、豊臣秀吉の死、徳川家康の専横と動乱が続きその中で森家が川中島城に移り元川中島城主の田丸直昌が岩村城主となり関ヶ原で田丸直昌は西軍に付き失領。その後は徳川領となったりしたそうです。

2019/6/2009:23:46

東に限らず美濃は守護の土岐が支配下におき各地に武将を配して統率しています。

土岐が追われて守護代斎藤を乗っ取った道三に代わっただけでたいした変遷はありません。

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