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戦国期、松平氏時代の岡崎城跡の大手って、国道側のほうですか?

yam********さん

2019/7/113:00:03

戦国期、松平氏時代の岡崎城跡の大手って、国道側のほうですか?

現在は、おそらく維新後か、戦前かに作られた橋が天守に向けてかかっており、鏡石があることからこちらが正面と思えるのですが、間違った考え方ですか?

それとも、本丸を囲む堀に沿って歩かせ、現在、天守の入り口になってるほうに遠回りさせるのでしょうか?

現在の入り口がまんま正面ですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

f27********さん

2019/7/309:01:08

戦国時代の松平氏時代の岡崎城の様子は記録が残っていないそうです
しかし家康の時代と近世とで、基本的な城の縄張りは同じと考えられています
松平清康が松平(西郷)信貞から奪取した岡崎城は菅生川対岸の明大寺にあり、今の岡崎城のある竜頭山に築城したのが清康と思われます
清康、広忠、今川城番時代の岡崎城は現在の本丸、二ノ丸のみで、三ノ丸および浄瑠璃曲輪を設けたのが今川から独立した家康です
元々、中世の東海道も菅生川(乙川)南岸を通っいて、町もそちらに開けていましたが、新岡崎城の築城により城の北側に城下町が形成され、のちには東海道のルートも北側に変更されました
しかし旧市街側とはいえ、岡崎城の南の菅生川側は本丸の直下で搦手にあたります
また菅生橋がかけられたのも江戸時代に入ってからです
ちなみに東岡崎駅すぐ北の明大橋が最初に掛けられたのは大正時代です
そういったことを考えると、江戸時代と同様、北側が松平氏時代の大手門と考えてよいと思います
現在の南側が正面のようになっているのは、名鉄線が開通し、東岡崎駅からのアクセスの良さ、特に城のシンボルである復興天守への行きやすさによるものです

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