ここから本文です

源頼政は平治の乱ではどういう態度だったのですか。 中立だったのですか。 源...

rit********さん

2019/6/2900:03:32

源頼政は平治の乱ではどういう態度だったのですか。

中立だったのですか。
源義朝や藤原信頼と行動を共にしていたが途中で返り忠したのですか?

八条院の家来と言う立場で、源氏は源氏でもどっちか言うと頼政の摂津源氏のほうが源氏の嫡流なのでしょうけれど、このころは摂関家に近い河内源氏の義朝のほうが源氏では力があったのですか。
しかし、結果的に一時的になってしまいますが、この時の争乱において中央(京)で頼政は生き残るのですね。

閲覧数:
16
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

hoc********さん

2019/6/2901:24:54

平治の乱は、二段階あります。
最初は後白河院政派と二条親政派が協力して、信西派を倒しました。
その後、後白河親政派と二条親政派が戦いました。

信頼や義朝は後白河親政派、頼政は二条親政派に近い存在でした。
ですので、単なる返り忠というわけではないと思います。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

cra********さん

2019/6/2901:48:42

平治の乱は二条天皇親政派と後白河上皇を担ぐ藤原信頼による、権力を握る信西へのクーデターとして始まりますが、信西が死ぬと仲間割れして二条天皇は六波羅の清盛の邸に逃げます。頼政は二条天皇派ですから信頼と行動を共にする理由はないので天皇について清盛側になりました。つまり返り忠ではないです。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる