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現在まで続く日本のプロレス史に影響を与えた重要レスラーはだれだと思いますか?

rgb********さん

2019/7/2523:59:42

現在まで続く日本のプロレス史に影響を与えた重要レスラーはだれだと思いますか?

ポイントは新日や全日だけでなく、さらに現在だけでなく『現在までの日本のプロレス史に影響を与えた』ということです。

その観点で考えると個人的には世代的にあまり知らないですが、

1位 力道山
2位 馬場
3位 猪木 (2位と3位は同率と考えます)

は外せないと思いますので、3位以降が意見が分かれるところだと思います。
もちろん、この意見に反対していたいてもOKです。

あなたのトップ10、またはトップ5を教えてください。

その際には必ず理由を添えてください。

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Jon_s***さん

2019/7/2714:21:17

1位 力道山
2位 馬場
3位 猪木
___________________

4位:大坪飛車角。本名:大坪清隆。
(高専柔道出身。
柔道王・木村政彦による国際プロレス団に参加。
木村氏とは師弟関係ではない。「木村先輩」と呼んでいた。

しかし「力道山対木村政彦」戦を取材してた門茂男記者から
この試合が八百長崩れだったことを知らされ
他の柔道グループと共に木村氏から離れて
亜細亜プロレスを旗揚げ。

力道山が日本プロレスを旗揚げして大成功すると
日本中にプロレス団体が乱立するようになり

力道山はコミッショナー令で
各団体に声をかけて力道山道場に集結。

観客完全非公開のガチンコトーナメント戦
「ウエイト別日本選手権」を開催。

敗退が続く山口道場の中で唯一孤軍奮闘してたのがジョー樋口で
「大坪対樋口」のレフェリーをしてた力道山は
2人のファイトに感心し日本プロレスに誘った。

大坪さんはプロレスラーとして活躍する傍らで
力道山道場の師範代となり
力道山門下生たちに高専柔道の技術を叩き込んだ。

門下生の中でも特にアントニオ猪木が熱心で
大坪さんは高専柔道の技術を猪木氏に教えた。

この人が無ければ
日本人レスラーのセメント技術は無かった。

試合中のレスラーの視点を教えた人でもあります。
観客席の5列目と6列目を見ること。
この教えがアントニオ猪木に伝授され
現在のプロレスの基礎となっております)

___________________


5位:吉原功。
(早稲田大学レスリング部出身、オールジャパンの選手でもあった。
日プロ力道山道場師範代の一人。後の国際プロレス社長。

卒業後、某大手企業に就職し会社員生活を送るが
力道山道場の練習を見学するうちに
自分もプロレスがしたくなり力道山に弟子入りを直訴。

プロレスラーとして試合する傍ら
力道山道場の師範代となり、
力道山門下生たちにアマレスの技術を叩き込んだ。

日本のプロレス業界における
本格的なスパーリングの基礎を作った。

腰を痛めて現役を引退。日プロの経理担当となるが
力道山急死後の幹部たちの主導権争いに巻き込まれ退職。

国際プロレスを設立。
東京プロレス崩壊で行き場のないラッシャー木村を引き受ける。
ストロング小林・アニマル浜口など
本格的なレスリングが出来るプロレスラーを育成。

TBSと放送契約を結んで順風満タンに見えたが
日プロを追放されたグレート東郷と関わったことで
結果的に東郷の計画に協力したことになり
テレビ局との関係が悪化。

国際プロでも東郷を追放。
外人レスラーを東郷の息がかからないヨーロッパに
切り替えたことで独自の外人路線を確立。
アンドレ、ガニア、ロビンソンなど日プロとは違うスターを確保。

東郷がNETと接触したことでNETはプロレス中継を企画。
東郷の動きを知った日プロは、それを逆手にとって
NETとも放送契約を結ぶ。
日テレは契約違反だと激怒したけど
日プロは東郷対策の為に必要だからと納得させた。

つまり国際プロレスは
日テレ=G馬場。NET(テレ朝)=A猪木。
という棲み分けのキッカケをつくることになった。

___________________

6位:豊登。
(立浪部屋に所属してた力士。
力道山の弟分でナンバー2。
名付け親の天才で門下生のリングネームは豊登によるもの。
マンモス鈴木、大坪飛車角、
上田馬之助、林牛之助、山本小鉄、高崎山猿吉、小鹿雷三、など。
A猪木には本名の猪木寛至で行く気だったけど力道山は却下した。

紆余曲折を経て新日本プロレスの設立に参加。
NETが新日本と放送契約する際に、契約する上で
新日本社員の数名の存在に難色を示していたが
豊登が彼らを説得して自分と一緒に退職させた)

___________________


7位:ユセフ・トルコ。
(柔拳出身。
力道山が設立した日本プロレスに参加。
レスラー兼、コーチも務めた。
現役引退後はレフェリーに。

日プロ内部では大の馬場嫌いで知られ
「マッチポンプ」と呼ばれていた。

日本プロレス協会の歴史の中で起きた様々なトラブルの原因は
どれも、この人によるものだと断言する日プロОBもいる。
A猪木がG馬場に挑戦したのもこの人が焚きつけたとされている。

給料未払いの力道山がアメリカに行くと滞在先に
「秘密をばらす」「国会にかける」
と脅迫状を送ったこともある。
そのまま力道山相手にクーデターを起こした。

グレート東郷を襲撃し日プロから追放したことがある。

日プロを退職した際に
退職金の支払いを渋る幹部たちを訴えた。

新日本プロレス設立に参加。
しかしマッチメイクの件でA猪木と衝突。
新日本を退社し梶原プロの役員に就任。

コミッション事務局出身の門茂男が
プロレスの暴露本を刊行するようになると

梶原原作による「プロレス・スーパースター列伝」を
週刊少年サンデーで連載開始。同作の知恵袋となった。
しかし創作箇所が多すぎて誤った情報ばかり。

角界から高見山と千代の富士を引き抜いて
「大日本プロレス」を計画したこともある。
フジテレビと放送契約を結ぶことになっていた。

しかし角界のしきたりで一定期間、空白期間が必要となり
その間、支度金を預かっていた役員が
資産運用で先物取引に使い込んでしまい計画は中止。
高見山と千代の富士は角界に残った。

日プロ時代から親しかったアブドーラ・ザ・ブッチャーが
全日本プロレスとのビジネスを辞めたがってると知ると
正式に辞めるようにアドバイス。

ビジネス終了を確認して新日本プロレスに売り込んだ。
全日本プロレスの観客と視聴率が奪えるとのセールスに
新日本プロレスはブッチャーと3年契約。

ブッチャーは新日本プロレスとの契約を終えたら
引退してのんびり暮らすことにしていた。

ユセフ・トルコはブッチャーの件を
正式に契約を終わらせてから動いたのだから
「引き抜きでは無い」と断言してたけど
この件が引き抜き合戦の始まりとなった)

___________________

8位:吉村道明。
(近畿大学相撲部出身。
柔道家の山口利夫が旗揚げした「全日本プロレス」に入門。

観客完全非公開のガチンコトーナメント戦
「ウエイト別日本選手権」に出場する。

山口利夫門下の中で唯一孤軍奮闘してる吉村さんに
力道山は感心して日本プロレスに誘った。

ここから火の玉小僧・吉村道明の大活躍が始まる。

力道山急死後の吉村さんは
現役バリバリのレスラーながらも
マッチメイカーでもあり
テレビマッチのカード編成も担当していた。

興行面でも、地方巡業での「先乗り」など
様々なプロレスの興行の基礎を作り上げた人でもある。

新人の坂口征二を売り出す為に
「3本勝負」が主流の中で「1本勝負」を提案。

敵も味方も坂口に「1本」をとらす為に動き回ったことで
インパクトのあるデビュー戦を飾ることが出来た。

コミッション事務局の門茂男が日プロの帳簿を見たら
「△月4日、ジュース代」「×月27日、ブドウ酒代」
と書かれてて受取人が吉村道明になっていた。

「会社から月に2万、3万といったジュース代、
ブドウ酒代が出てるけど他のレスラー達は
身銭を切って買っているんだろう?」…と意見したら

「親から貰ったヒタイを割って血だらけのファイトをして
2万や3万貰ったって、血の補給代にもならんよ!」

と大声で言って「ジュース代」「ブドウ酒代」とは
流血戦の特別手当であることを明かした。


「ダラ幹」と云われてた日プロ首脳陣の中で
吉村さんだけは後輩たちから慕われた。
引退式では遠方で興行してた新日本から
A猪木・豊登・トルコが駆け付けた。

引退後はプロレス業界とは完全に縁を切り
母校近畿大相撲部の顧問で活躍。

「大日本プロレス」計画の際、
参加者の中に吉村さんの名前もあった。
その後、A猪木の引退式に出席した)

___________________

9位:タイガーマスク(佐山サトル)
(説明の必要なし)

___________________

10位:坂口征二
(説明の必要なし)

1位 力道山
2位 馬場
3位 猪木 
___________________...

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kou********さん

2019/7/2714:41:58

4位以降は、
佐山タイガー
長州
大仁田
前田
サスケ

mss********さん

2019/7/2700:50:38

4.ブル中野
5.佐山聡
6.前田日明
7.大仁田厚
8.長州力
9.吉原功
10.ザ・グレート・サスケ

それぞれ理由ですが
・ブル中野
女子プロレスラーの実力を男性ファンにも認めさせ、女子プロレスの全盛期の礎を築いたのはこの人で良いかなと。彼女の波に乗ってアジャや北斗も出てくる訳ですし

・佐山聡
彼と前田抜きに日本の総合格闘技の歴史は語れません。彼は修斗を作り上げ、今でも存続していますのでこちらを上位に

・前田日明
格闘技系プロレスを切り開いた一人にしてカリスマ的存在。その功績は佐山と二分されるものも多いか。

・大仁田厚
デスマッチ、インディーの部門においてのパイオニアの一人。その功罪は余りにも大きい。電流爆破を初めとした「狂気」のようなデスマッチは彼の創始あってこそ。

・長州力
長らく続いていた「絶対的カリスマ猪木」の時代を終わらせ、新たなムーブメントを起こす。また天龍革命は長州の影響を受けた事から起こっており、それが前田日明の顔面襲撃を最終的に引き起こすという事を考えると、彼の存在は余りにも大きい

・吉原功
国際プロレスを作り上げる。元々レスラーだったという事で入れました。彼によって生まれた国際プロレスはラッシャー木村やストロング小林といった人気選手を輩出したが、何と言ってもアンドレ・ザ・ジャイアントやビル・ロビンソンを日本人に紹介した功績は特筆に値する。中でもアンドレ(モンスター・ロシュモフ)はこの国際でのキャリアをきっかけに大スターになっていく

・ザ・グレート・サスケ
地方密着型インディー団体の歴史を語る上で欠かせない人物。現在でも九州プロレスや新潟プロレス、琉球ドラゴンプロレスなどの地元密着インディーは多くあるが、そのパイオニア的存在は彼の作ったみちのくプロレスなのは間違いないだろう

rod********さん

2019/7/2610:42:49

長州:日本人主体でトップ外人多数を揃えたシリーズとひけは取らない収益が上げられると実践した。 天龍 前田他もある部分は焼き直し

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ban********さん

2019/7/2608:16:20

4位 三沢 光晴
5位 ビューティペア

三沢は全日本プロレスを退団し、きちんと記者会見を開いて新団体設立を宣言し、NOAHを立ち上げました。それ以前にもインディー団体はいくつか設立されていますが、メジャー団体になるNOAHが設立されたことでプロレス界が活性化され、また、三沢は積極的に他団体選手をNOAHマットに上げるようにしたことからも、団体対抗戦の基礎を作ったと考えます。

ビューティーペアは女子プロレスブームの火付け役ともいえ、これまでの暗いイメージを払拭し、女子プロレス界を明るくしたと思えます。リング上で歌を披露するスタイルを作り、小さな子が憧れるような世界にまでした功績は大きいと考えます。

mou********さん

2019/7/2605:31:20

4位 初代タイガーマスク(佐山聡)
5位 大仁田厚
です。

初代タイガーマスクは それまでドロドロした試合内容
だった大人のプロレスに、ちびっ子が夢中になるような
新しい分野・価値観を開拓しました。
現在 新日本を牽引する オカダを育てた 浅井嘉浩も、
元々 タイガーマスクになりたくてしょうがなかった人間。
船木誠勝も同様。前田は 佐山が知り合いになった事を
新間寿に話さなければ 新間がスカウトに大阪まで
行くことは ありませんでした。

大仁田厚は、平成の新しいプロレスの扉をこじ開けました。
評価は分かれるにせよ、小さい団体でもやってゆける、
インディープロレスのパイオニアで、現在の超多団体時代は
彼の 復帰してからの息が長かったことが大きく影響
してます。いわゆる王道プロレスでも、ストロングスタイル
でも UWFスタイルでもない プロレスです。
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