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相撲の番付表で西と東がありますが、あれは何の違いがあるんですか?

tou********さん

2008/12/318:46:03

相撲の番付表で西と東がありますが、あれは何の違いがあるんですか?

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ake********さん

2008/12/318:51:24

相撲の番付は東と西に分かれますが、横綱の場合東の方が格が高いのです。
現在の番付は、基本的に東西に二分して表記され、東方が西方より格上にみなされる。たとえば東大関は西大関より半枚上である。この形式は江戸で生み出されたのもので、それ以前の大坂相撲では、東と西との二枚に分けて発行されていた。しかし、初期の江戸相撲は、参加する力士が少なかったので、一枚に収めて東西に分けることにしたために、東西の序列が必要になった。

東が西よりも格上とみなされるようになったのは、1890年(明治23年)に横綱免許をうけた大関初代西ノ海(16代横綱)が、張出大関になることに不満をもらしたため、これをなだめるために同年5月場所で番付にはじめて「横綱」の文字をいれ、東に張出の形式で配置したころからのことである。1909年(明治42年)の東西制実施のときに、優勝した方屋を翌場所東に配置したことで、東が半枚上ということが確定して、現在に至っている。ただし春秋園事件に際して発行された改定番付(1932年(昭和7年)2月場所)では大関3人で張出をつくらなかったために、幕内では「関脇以下は西が上位」とされていたため東方上位が完全に確定したのはこれ以降である。

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s05********さん

2008/12/418:58:00

大相撲がいつごろ始まったのかははっきりわかっていませんが、
番付が現存している「宝暦」のころから、ずっと今のような東西番付になっています。
昭和の始めころまでは、「東西制」と言って、東軍と西軍の対抗試合のような形でした。
東方同士、西方同士は対戦しませんでした。
番付作りも東西別で、それぞれが前場所の成績で上下を決め、
混ざるようなことはありませんでした。
力の均衡が大きく崩れた場合などには、
東→西、西→東、と移動させられる力士も時々いましたが。

その後、「系統別総当り」→「東西制復活」→「系統別総当り」を経て、
昭和40年1月場所から、現在のような「部屋別総当り」になりました。

もう今では力士を東西に分けることに意味はありません。
昔の名残です。
前場所の位置と成績を考慮して、力士を上から順番にして、
東横綱→西横綱(現在は不在)→東大関・・・→東前頭3枚目→西前頭3枚目→東前頭4枚目・・・
という風に並べているだけです。
同位置だと、東のほうが格上です。
実際の取り組みでは、東方同士、西方同士が当るときは、
番付の下位の力士が反対の方屋に回ります。
例えば、西大関-西小結の取り組みでは、西小結の力士が東方から土俵に上がります。

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