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徳川家康はどのような条件でも天下を取れたと思いますか?

jap********さん

2019/8/1021:24:20

徳川家康はどのような条件でも天下を取れたと思いますか?

・おねに男子がいた
・豊臣秀長がさらに長生きした
・前田利家がさらに長生きした

それともこの1つでもあれば家康は天下を取れませんでしたか?
逆にこの2つ、ないし3つの全ての条件が揃っていても家康の天下でしたか?

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ook********さん

2019/8/1307:06:41

おねに息子がいたら徳川が江(秀頼の叔母)を秀忠の正室にしたことも秀頼と千姫の婚約も無意味というか多分やらないから家康の立場は朝日姫の元夫の五大老というだけで豊臣の内部のことまで口を出すのは難しい
生母おねの影響力から豊臣子飼いやおね親族の小早川秀秋などの権力が増大して徳川は天下を狙える立場にはそもそもなれない

秀長は家康と仲がいいけど長生きしたら秀吉から託された秀頼の将来のために徳川の力を削ぐと思う
秀長は戦強いし豊臣の内政・外交・人脈握ってるから難癖つけて圧迫したり国替えで国づくりも安定してないなか戦を仕掛けられたら徳川の天下取りは不可能

利家は秀吉の親友でも立場は朝日姫の夫で息子秀忠は秀頼の叔母を正室にし、秀頼と孫娘が婚約してる徳川家康より格下で逆に利家は天下への野心を疑われる立場だから利家が長生きしても徳川は反撃が容易
徳川は利家の野心を責め秀頼と引き離し関ヶ原は徳川対前田になるだけで勝利したら天下取りへのルートはそれほど違わない

なので徳川家康が天下取れる条件は利家長生きの場合ではあまり変わらないがほかの二つだと相当に厳しくなる

質問した人からのコメント

2019/8/17 12:33:32

勉強になりました。

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ary********さん

2019/8/1221:17:41

そうなってみないとわかりません。あらゆる組織とは成立した時点から崩壊へと向かいます。故に壊れないように常にメンテナンスをしていかないといけません。そもそも豊臣政権は秀吉が頂点となった組織ですが、秀吉死後は幼児である秀頼が頂点となった組織でした。意思決定できない子供がトップという点に不具合がありました。

1)高台院に子がいれば有力な後継候補となます。ただし能力が伴っていなければダメです。信長にも子も親族もいましたが、信長死後に織田の天下は続きませんでした。(逆に秀頼とその後継者との対立が生じる危険性もあります。周囲で浅井系などの秀頼と淀を押す派閥、昔から秀吉についてきた高台院とその子を押す派閥ができるかもしれません。)多分高台院が生きている間は極力抑えようとするでしょうが、その後はわかりません。

2)秀長がいればかなり抑えは効くでしょう。しかし宗教的な抑えとしては彼はかなり不利です。彼は宗教勢力の利害が入り組む大和地方をきちんと抑えた反面、ものすごく嫌われていました。江戸幕府のような金地院崇伝や天海僧正のような強力なブレーンがいないといずれ統率が取れなくなります。

3)重鎮として利家は抑えるでしょうが、いかんせん領土が遠いです。なぜ秀吉が後を託せる盟友を遠方においてしまったのかは謎ですが、この場合変事が起きても軍事力はあまり期待できません。

この3つがあれば家康の天下は遠のきますが一番問題の豊臣の存続に課題が生じます。これを解決するのがトップの仕事です。実際に起きていた問題は後世から想像するしかありません。一例として豊臣には西洋事情の専門家がいないということでしょう。ウィリアム・アダムスもヤン・ヨーステインもいないのに各国の利害調節をしたり、貿易国のオランダとイギリス、スペインとポルトガルの違いをきちんとわかって対応できるのか(そもそも誰が対外事業に取り組むのか)正直全然わかりません。そちらの方がよほど問題です。

2019/8/1115:32:40

天下は取れなかった思います。そして、日本の首都は大阪府で、東京は今の仙台位の都市で、歴史マニア以外はほとんど知らない位の知名度だと思います。

dok********さん

2019/8/1110:22:38

その3つの中でも前田利家が長生きしただけでは家康の天下になると思います。
前田利家は家康の対抗勢力としては十分ですが、家康を押さえ込むことはできず、百戦錬磨の家康が時間をかけてでも利家を切り崩すと思います。
最悪毒殺するなどして利家を亡き者にする手段に出そうです。
利家が長生きした場合は、あともう一つの条件が必要です。
おねに男子がいて、成人していたら家康は下手に動けず従うしかありません。
秀長は人望があり秀吉亡き後には秀頼が成人するまで豊臣政権を支え、多くの大名が秀長に従うことになり、家康の出番はないと思います。

どれか一つの条件があれば天下は無理だっただろう

よく朝鮮征伐や秀次事件の回答があるが
朝鮮は撤退で解決済みだし
秀次事件が根底を揺るがしたとは思えない
なぜなら、すでに本人は死んでるんだからね

関ケ原で豊臣政権を倒したいと家康に付いた武将なんて数えるほど

てかそれも豊臣が嫌になってではなく
自分の保身や出世が動機だから

だからこの2点を言ってくる人って不思議だわ

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jun********さん

2019/8/1102:53:33

結局のところ、秀吉の晩年の暴走を、
食い止められたかどうかが、大きなカギになったと思います。

そういう意味では、前田利家が長生きしたところで、
大勢に影響はなかったかもしれません。
秀長が元気で政権の実務を担当し、秀吉の大陸進出という暴挙を、
押し留める事が出来たとすれば、家康の出番は、
大きく減衰したでしょう。
また、北政所に実子がいて、本能寺の変の頃には元服していれば、
周囲はその子が秀吉の後継者として全員が認め、
秀次事件のような、陰惨な身内争いも起きなかったはずです。

要するに、徳川政権が家康・秀忠の代で行った、
政権の基盤を固めるという作業が、豊臣政権において出来れば、
家康がいかに実力者であっても、容易に手出しができなくなる、
という事だと思います。

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