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北条早雲が戦国大名になったのは、どうしてですか? やりたくてなったのでしょう...

ユーリさん

2019/8/2919:39:19

北条早雲が戦国大名になったのは、どうしてですか?
やりたくてなったのでしょうか?

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zun********さん

2019/8/2922:11:08

早雲の活動が、幕府、細川政元や足利義澄の意向をうけたものであるという指摘も事実です。
駿河に行ったのは、姉が今川に嫁いでいた縁で、父の代理としてのもの。伊豆討ち入りは足利義澄の仇である茶々丸を討つため。今川の手伝いで三河松平とも戦っています。

関東への進出も、足利義稙×足利義澄が関東諸大名にまで波及していたからだといいます。

ただし、途中から早雲は細川・義澄陣営の意向に従わずに、目前の敵を討つために義稙に鞍替えしたとする意見もあるようですので、このころから早雲は独自路線をみせ始めた可能性があります。

駿河今川氏で働いていたのは中央の命令だからとしても、都を離れたいという意志が早雲にあったならそれは渡りに船というもので、大名への道も自身のうちからくるものがあったといえます。

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sas********さん

2019/8/3007:17:40

その可能性は高いかと思います。
足利政権内や今川家での後継問題のたびに戦いがありそのたびに庶民が被害に遭うのを目の当たりにして幕府から離れた楽園となる独立国家を作ろうと考えたのかも知れませんね。

古谷護。さん

2019/8/2922:07:47

戦国大名というのは歴史用語です。

2019/8/2920:33:16

もちろん、やりたくてなりました。
早雲「戦国大名は、自分に取って、天職っす!
他の大名、ぶち殺して、その座を奪ったっす!」

ren********さん

2019/8/2920:20:04

どちらかといえばなりたくてなったというよりはいつの間にかそうなったというべきでしょうか。
かつての定説が近年の研究で色々と変化してきています。
今川家家督争いの調停
→足利の分家である今川の争いを抑えるために親族である伊勢早雲が幕命で駿河に送られ調停する
伊豆討ち入り
→時の将軍足利義澄が同母弟の仇討ちの為に今川家に命令し、伊勢早雲が今川の名代として出陣
小田原城奪取
→当時の小田原城主大森氏が扇谷上杉から山内上杉に鞍替えしたことで背後を突かれることを恐れた扇谷上杉が大森領と引き換えに早雲に小田原城奪取を依頼

以上のように早雲は幕命や依頼で勢力を結果的に広げたともいうべきでしょうね。

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edo********さん

2019/8/2920:00:27

応仁の乱に巻き込まれた足利義視に従って京を離れ伊勢に下り、乱の終息後に上洛して9代将軍の申次衆となりますが、その後申次衆を辞して駿河に下ります。早雲の妹が今川義忠に嫁いでいたので頼ったわけです。義忠が戦死すると今川家に内紛が起こり早雲が調停をしたりして興国寺城を与えられのが戦国武将としての始まりです。最初から何かしらの野心があったと考えられます。

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