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中学生が理解できる思想の範囲。

cal********さん

2008/12/1310:40:16

中学生が理解できる思想の範囲。

有名な心理学者によると子供は7歳くらいまで直感的思考段階と呼ばれる状態にいて、
7歳から11歳くらいにかけて具体的操操作期になり論理的思考が身につき始めると言われています。

有名な例として、
子供の前に同数のおはじき等を等間隔で2列へ行こうに並べます。
この時点で子供は2列が同数であることを確認できます。

次に子供のみている前で1列のおはじきの間隔を広げてどちらの例のおはじきが多いかと尋ねてみると、
直感的思考段階の子供は間隔が大きい列の方がおはじきが多いと答えます。
これは論理的に考えられないので外見によって思考が左右されるためです。

このように直感的思考段階にいる子供と論理的思考が出来る子供では絶対的な壁があります。
そこで思ったのですが、中学生から老年期までにかけてこのような絶対的な壁が生まれて、決して通り越せないというようなことはあるのでしょうか?
(極度に抽象的なことや哲学的な善悪について思惟できない)など。
アドバイスよろしくお願いします。

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nan********さん

2008/12/1312:05:00

所謂、認知上の発達ってやつか。面白い話題だね。僕もこれについては関心があるんだよ。政治家とかで四十代だと若すぎるとか色々言われてるから本当のとこどうなんだって。

確かに、壁というほどしっかりしたものではないにせよ、年齢によるに曖昧な発達上の制限みたいなのは経験的にも感じる。

でもこれって、人間のタイプや、比較する能力、教育環境なんかによって全然話が違ってくると思う。

例えば数学の天才タイプは理学系は普通よりかなり早く発達するが、他は標準並、そしてある種の感覚的判断は15才並ぐらいからほとんど成長しないってな感じに。(あくまで単なる例示です)

一見越せなそうな壁に見えても、タイプや環境によっては早めに(普通人にとっての)壁越えることも可能になりうる。これがいわゆる天才児。

こう言ったことを前提にしたら、こせない壁はあるかないかを一概に言うことは出来ないと思う。
子供の時は単純に同じような発達をするが、青年期以降はさまざまな要因が重なり合い個人差も大きく、簡単にはまとめられない。

ただ、話を哲学に限定して、僕の僅かな経験から考えると、年齢はやっぱり大きな制限要因になってると思う。

哲学って言うのは、直感的判断を理性的に検討していくプロセスともいえるから、とりあえず直感的世界観自体を形成できてない時期には無理だし、理性の一定の発達も必要。

それに論理的判断や、批判的思考法、言語内容の吟味のための言語知識や自分の考えや感情を表す言語知識、社会的な前提、人間としての感情経験。その他諸々の技法、知識、経験を身につけつつ統合していくわけだから、そう短時間で出来ることではない。

だいたいはなし聞く限りでは、おぼろげな哲学的意識が出始めるのは中学ぐらい、哲学的な自我でて不器用ながら哲学的思考が始まるのが高校、大学で広範な知識をつけつつある程度のきそがでて、そこから数年かけて成熟化してく、それでも完全とは言い難く、転向したり、微調整をつづける。

だいたいの数学や論理系を除くだいたいの哲学者が主著を四十や五十代以降に書いてるのも、アイデアがまとまってからさらなる批判や検討による精緻化が必要だったからだと推察できる。

ってのは、まぁごく一般に言われてることだからおいとくにしても。

25と50の差がどれぐらい本質的かはわからないが、とりあえず15から25ってのはかなり本質的な差がある。

賢い子は15でも賢いけど、絶対的な知識や経験不足は埋められる物じゃないし、環境や詰め込みでできる割り増しもたかがしれてるのではないかな。
学力とかの単純な物なら可能だし、哲学的なことでも分野を絞ればある程度は可能だろうけど、それはなにかを犠牲にしたうえだし、総合的な判断力や哲学に結びつくかって言われたらちょっと微妙なんじゃないかな。そりゃあ、才能+優秀な個別指導が住み込みとか条件がよっぽどよければまた違うかもだが。

あっ、字数がきつい…。

とりあえず、この手の話は事例を分析してなんぼだね。

まとめると、あまりに高度な判断はあまりにも若いと無理だとみられがちだが、個々の判断毎に出来るケースやそうでない場合がある。だが総合的見解は若いうち特に二十前には不可能と言えるぐらい難しい。

(素人が勢いで書いた私見なんで、批判点あれば、是非にお願いします

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yus********さん

2008/12/1419:59:01

あなた暇人ですね。(笑)

ina********さん

2008/12/1313:16:41

「十五にして学を志す」と言う言葉があります。
世の中のルールに「何故?」と言う疑問を持ち、その理由を知るために自ら学ぶようになるのはどんなに精神年齢が発達していても15歳になってからだと思います。
だから15歳になるまでは「規則だから従え」で指導するしかありません。
その先には30歳の「而立」、40歳の「不惑」などの壁があって、どんなに努力してもこの壁を乗り越えることはできません。

15歳より前の精神的な成長についてはあまり考えたことがないのでよくわかりませんが、
日本人と中国人の論理的思考能力の差で感じることがあります。
中国の子供は漢字の壁があって、自分の意思を文字で伝えることができません。
日本人の7歳だったらひらがな交じりの文で大抵の事を伝えることができますが、中国では10歳にならないとそれができません。
さらに日本人の10歳の子供が書ける文章は中国では15歳にならないと書けません。
そして、日本人の15歳に書ける論文は中国だと高等教育を受けた大学生レベルでなければ書けません。
論文が書けないと言う事は論理的思考能力が無いと言うことです。
つまり、国語力、計算力などの必要要素が欠けていると論理的思考はできないと言う事です。
と言う事で、15歳までの精神の成長は基礎的な学力が大きく影響していると思います。

15歳より先は社会的な環境、地位が大きく影響していると思います。
まず、30歳くらいまでは自分の技さえ磨いていれば周りの評価は高くなりますが、やがて個人の能力だけではどうすることもできない壁が現われて他人と渡り合う能力を身に着ける必要性を痛感するはずです。
そして、30歳を過ぎると人を育てたり指導する能力が求められ、40歳になると組織の牽引車として強い指導力が発揮できなければならないなと、様々な壁にぶつかるたびに心が成長します。
50歳、60歳では何を求られるかは私には答えられません。15歳の「学志」、30歳の「而立」すら当時と今では捉え方が違っているからです。

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